五郎駅
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五郎駅(ごろうえき)は、愛媛県大洲市五郎にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅。駅番号はS17。
かつては内子線の分岐駅であった。
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[編集] 駅構造
単式ホーム1面1線をもつ地上駅である。内子線が当駅に入っていた頃はこの単式ホームのほかにさらに島式ホーム1面2線を有しておりあわせて2面3線であった。今でも使われなくなった島式ホームは残っていて構内は広い。また蒸気機関車時代の給水塔も残っている。
木造の駅舎がありかつては駅員も配置されていたがこれも内子線の廃止後撤去された。それからはホーム上に簡便な待合所が設けられているのみである。
無人駅であるが駅近くのタバコ店で近距離乗車券のみを販売する簡易委託駅となっている。
[編集] 駅周辺
駅の近くには菜の花畑があり毎年三月ごろにはこのあたりは黄色に染まることになる。あたりは田園地帯であるが駅の西南一キロメートルほどの国道56号沿いには商店なども進出してきている。
- 肱川防災ステーション
- 洪水を防止するためのさまざまな用品を備蓄しておく場所であるが肱川の歴史などを展示しており地元の人々の会議場としても使われている。
- 肱川 - 畑ノ前橋
- 大洲インターチェンジ - 松山自動車道
[編集] 歴史
この駅を開業させたのは愛媛鉄道である。大正7年(1918年)の2月14日に愛媛鉄道が長浜町駅(現在の伊予長浜駅)から大洲駅(現在の伊予大洲駅)までを開通させたのに伴い愛媛鉄道の途中駅、五郎駅(ごろうえき)としてこの駅は開業したのである。
愛媛鉄道は昭和8年(1933年)の10月1日に国有化となり愛媛線とされる。軌間は愛媛鉄道時代から762mmのままであったが昭和10年(1935年)10月、下灘駅から伊予長浜駅までの路線の開通にあわせて1067mmに改められた。このとき高松駅から下灘駅まですでにのびていた予讃本線が愛媛線を含めて伊予大洲駅までがつながったため高松駅から伊予大洲駅までが予讃本線とされ、当駅も予讃本線の駅となった。この日には、それまで愛媛線の一支線であった若宮信号場(伊予大洲・五郎間)から内子駅までの路線も同じく改軌となり内子線と改称、さらに五郎駅分岐とされたため当駅は予讃線と内子線の乗換駅ともなった。
昭和61年(1986年)の3月には向井原駅から内子駅まで及び新谷駅から伊予大洲駅の新線が開通し内子線が短絡ルートに組み込まれた。このため内子線の当駅から新谷駅までが廃止となりこの駅は乗換駅ではなくなった。
この駅はその後昭和62年(1987年)4月には国鉄の分割民営化により四国旅客鉄道の駅となって現在に至っている。予讃本線は昭和63年(1988年)6月に予讃線に改称となった。
[編集] 年表
- 1918年(大正7年)2月14日 - 愛媛鉄道の五郎駅(ごろうえき)として開業する。
- 1933年(昭和8年)10月1日 - 愛媛鉄道が国有化により国鉄愛媛線となる。
- 1935年(昭和10年)10月6日 - 下灘駅から当駅までが開通、また愛媛線全線も改軌となる。このとき高松駅から伊予大洲駅までが予讃本線とされる。また内子線が当駅分岐となった。
- 1986年(昭和61年)3月3日 - 向井原駅から内子駅までと新谷駅から伊予大洲駅までが開通する。これに伴い内子線の当駅から新谷駅までが廃止となり当駅は乗換駅ではなくなる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により四国旅客鉄道の駅となる。
- 1988年(昭和63年)6月1日 - 予讃本線が予讃線に改称となる。