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性能諸元 |
基準排水量 |
5,170t |
常備排水量 |
5,570t |
垂線長 |
158.53m |
全長 |
162.15m |
最大幅 |
14.17m |
出力 |
90,000馬力 |
最大速力 |
36.0kt |
巡航速度 |
14kt |
航続距離 |
5000浬 |
兵装 |
1923年新造時 |
一四年式50口径14㎝単装砲 |
7基7門 |
1944年改装後 |
八九式45口径12.7㎝連装高角砲 |
3基6門 |
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その他 |
水中探信儀
水中聴音機
爆雷投射機
爆雷投下軌条
爆雷×90 |
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五十鈴(いすず)は旧日本海軍の軽巡洋艦(二等巡洋艦)である。その艦名は、三重県を流れる五十鈴川より名づけられた。
[編集] 戦歴
五十鈴は、大正年間に多数建造された5500トン級軽巡洋艦の長良型の2番艦として、1923年(大正12年)に完成した。完成時には、高速軽巡洋艦として、水雷戦隊の旗艦に適した優秀な艦であり、歴代艦長からは堀悌吉、山本五十六、高須四郎、山口多聞など後に著名になった指揮官も輩出された。
太平洋戦争開戦時にはすでに旧式化しつつあったが、開戦劈頭の香港攻略戦に参加した。1942年4月10日、第2南遣艦隊第16戦隊に編入後は小スンダ列島攻略戦など小規模の作戦に従事する。しかし、ソロモン諸島方面でのアメリカ軍の反抗作戦が始まり、五十鈴も急遽ソロモン方面に進出。臨時に第2水雷戦隊の旗艦となり、南太平洋海戦と第三次ソロモン海戦に参加。後者では一時航行不能に陥る損害を蒙った。損傷復旧以後は輸送や救援活動に従事。1943年12月5日、ルオットでアメリカ機動部隊の空襲を受け損傷し日本に帰還。その頃、対空砲火の増強策の一環として5,500t型軽巡の主砲をすべて89式12.7cm高角砲に換装することになり(一部を換装した艦はすでにあった)、その第一弾として損傷復旧中の五十鈴の主砲をすべて高角砲に換装した。戦局の悪化により五十鈴に続く艦は出現せず(似たような例としては敷設艦常磐(旧一等巡洋艦)があった)、結果的に五十鈴のみが5,500t型軽巡の中で異彩を放つこととなった。この改装では、対空装備の他対潜装備も増備され、改装中に対潜掃討部隊の第31戦隊に当初予定されていた名取に代わって旗艦として編入された。五十鈴が対潜掃討部隊に編入されたのは、名取より電探や対潜兵器が充実していたからであった。
1944年9月14日に改装を終えた五十鈴は対潜掃討に従事することなく、小沢艦隊の一員としてレイテ沖海戦に投入された。これは当時水雷戦隊が不足していたため、対潜掃討部隊とは言え半ば水雷戦隊のような第31戦隊を応急対策として対空戦隊として投入したものであった。この海戦において、敵13機(内4機は不確実)を撃墜したとされる。レイテ沖海戦で生き残った五十鈴はフィリピン方面に回り輸送任務に従事するが、1944年11月19日、コレヒドール島沖で雷撃を受け大破。シンガポールとスラバヤで修理を行った後1945年4月7日にティモール島から陸軍部隊を撤退させる帰途に米潜水艦ケビランおよびチャー、英潜水艦スパークの雷撃を受け沈没した。結局、五十鈴が対潜掃討に従事することはなかった。
[編集] 改装について
1944年の改装では3連装25mm機銃2機という対空兵装から、前述のように89式12.7cm連装高角砲3門、3連装25mm機銃11門、単装25mm機銃5門と対空兵装が増備され、対空能力が飛躍的に向上した。また、電波兵器も21号電探(対空用)が艦橋上に、22号電探(対水上戦用)が後部マストに装備され、対潜兵器も水中聴音機や爆雷投射機など新式のものが装備された。なお、低下した水上戦闘能力を補うために魚雷発射管の酸素魚雷用への転換も行われている。
しかし、それでもなお対空兵装は5、500tの船体の割には貧弱であった。防空駆逐艦秋月の高角砲は8門であるのに、魚雷発射管を温存した五十鈴は6門しかない。防空巡洋艦に改装された英海軍の軽巡洋艦デリー(排水量4850トン)も主砲を全ておろしたのに、高角砲を5門しか搭載できなかったことを考慮すると、ある意味改造の限界だったとも考えられるが、純粋に艦隊防御のための改装だった秋月型やデリーとは違い、あくまで自己防御のための改装であったことの裏づけともいえる。その意味では、五十鈴を「防空巡洋艦」と呼称するのは必ず正しくないとも言える。総じていえば五十鈴(引いて言えば、五十鈴を含めた5,500t型軽巡)の改装の方向性は実情に見合った正しいものであった。しかし、思うように戦果があがらなかったのは、後手後手に対策を打った挙句中途半端な結果に終わることがしばしばあった日本海軍の実情の一端を象徴している。
[編集] 同型艦
[編集] 参考文献
- 遠藤昭『高角砲と防空艦』原書房、1975年。
- 雑誌「歴史群像」2003年12月号(学習研究社)
- 「歴史群像」編集部『「歴史群像」太平洋戦史シリーズ51・帝国海軍 真実の艦艇史2」学習研究社、2005年、ISBN 4-05-604083-4
[編集] 関連項目