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二本松義国(にほんまつよしくに、生年不詳 - 1580年(天正8年))は陸奥国の戦国大名二本松畠山氏第十四代当主。二本松義継の父。初名は尚国。
義国は二本松村国の弟・新城村尚の子で、二本松氏の一族であった。そのため、本家の当主・二本松義氏が嗣子無くして死去すると、後継ぎとして当主に迎えられたのである。少なくとも1551年には義国が当主として活動している。
しかし義国の武将としての器量は凡庸で、会津の蘆名盛氏からの侵攻を受けて、盛氏の臣下となり、わずかな所領を安堵されるほどにまで落ちぶれたという。