二元論
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二元論(二元説)は、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のことを言う。二元論的な考え方は、それが語られる地域や時代に応じて多岐に渡っている。
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[編集] 神学(西洋の一神教)における二元論
詳細は神学を参照
神学における二元論は、世界における二つの基本原理として、例えば善と悪というようなお互いが背反する人格化された神々の存在に対する確信という形で現れている。そこでは、一方の神は善であり、もう一方の神は悪である。また、秩序の神と混沌の神として表されることもある。
3000年前より始まり現在も信仰されているゾロアスター教や、すでに消滅したグノーシス主義、それらから影響を受けたマニ教、ボゴミール派、カタリ派などの宗教は、二元論的である。
3世紀、キリスト教徒の異端者であったシノペのマルキオンは、新約聖書と旧約聖書はそれぞれ背反する二つの神の御業だと考えた。
[編集] 東洋の神秘主義における二元論
詳細は神秘主義を参照
神秘主義(神秘論)においては、世界を大きく二つの範疇(分類)に分けて認識・理解するという人間の性質を意味している。例えば、人が木を認識する際に、周りの木でないものと分かつものとして木を認識する、また世界と自己を分かつものとして、自己を理解するということである。
伝統的な仏教では、悟りの境地に至るためのきっかけは、このような二元論を乗り越えることだとされている。それは簡単に実現できることではなく、全生涯を費やさなければならないものである。
[編集] 心身の哲学における二元論
心身の哲学における二元論は、まったく異なる種類のものとして認識される、心(精神)と物質の関係についての見方を示すものである。このような二元論はしばしば心身二元論とも呼ばれる。
これと対照をなすものとして、心も物質も根本的には同じ種類のものだとする一元論がある。
[編集] 科学哲学における二元論
詳細は主体と客体を参照
科学哲学における二元論は、物事を主体(観察者)と客体(非観察者)の二つに分けて論じる方法を言う場合が多い。
西欧科学の批判者は、このような二分法をその科学における致命的な欠点だとしている。また社会構築主義の文献では、この方法が主体と客体の相互作用に影響して、それをより複雑なものにしてしまう可能性があると述べられている。