九条家
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九条家(くじょうけ)は、五摂家のひとつ。藤原氏北家の嫡流の九条道家の三男、九条教実が祖で、京都九条に住んだ事が家名の由来。九条家とはいうが、九条流の嫡流ではない。家紋は九条藤。また、兼実の同母弟藤原兼房の子孫も「九条家」に含める事もあるが、こちらは早い段階で断絶している。 兼実の孫にあたる九条道家の子、九条教実、九条良実、九条実経が摂関となり、それぞれ九条家、二条家、一条家を立てて、五摂家を成立する。
九条兼実は異母姉である皇嘉門院領を伝領し、九条家領の基礎となった。平氏政権、後白河法皇には批判的で、源頼朝の推挙で摂政、ついで関白となり、以後摂関職は近衛家と九条家から出る。 兼実の孫・九条道家は、実子である九条頼経とその息子九条頼嗣が相次いで鎌倉幕府の摂家将軍となった事により朝廷内で権勢を振るう。
兼実の日記「玉葉」も有名である。
中世に九条家領はさらに広がり、江戸時代に二千石を領し、のち三千石に加増され、明治に至る。
九条尚忠の長子である公爵・九条道孝の四女・節子は大正天皇の皇后となった(貞明皇后)。
[編集] 主な人物
- 九条兼実(1149年-1207年)
- 九条良経(1169年-1206年)
- 九条道家(1193年-1252年)
- 九条教実(1210年-1235年)
- 九条頼経(1218年-1256年)
- 九条頼嗣(1239年-1256年)
- 九条尚忠(1798年-1871年)
[編集] 系譜
凡例 太線は実子。細線は養子。(なお嫡流を書き連ねる事とし、傍系は下記の系図の下に記載する。)
兼実 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 良通 良経 良尋 良円 良海 良快 良恵 良平 良輔 ┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━┓ 道家 教家 基家 良尊 道慶 ┣━━━┳━━━┳━━━┓ 教実 良実 頼経 実経 ┃ ┃ 忠家 頼嗣 ┣━━━┓ 忠教 忠嗣 ┣━━━┓ 師教 房実 ┃ 道教 ┃ 経教 ┣━━━┳━━━┓ 忠基 教嗣 満教 ┏━━━┫ 政忠 政基 ┏━━━┫ 尚経 澄之 ┃ 稙通 | 兼孝 ┃ 幸家 ┣━━━┳━━━┓ 康道 道房 道昭 | 兼晴 ┣━━━┓ 輔実 綱平 ┣━━━┳━━━━━━┓ 師孝 幸教 尚実 ┣━━━┓ ┣━━━┓ 稙基 宗基 道前 忠孝 ┃ 輔家 | 輔嗣 | 尚忠 ┌━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 幸経 道孝 夙子 尚嘉 忠善 熙通 基弘 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 道実 良政 節子 良致 良叙 ┃ 道秀 ┃ 道弘
[編集] 関連項目
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