九条忠家
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九条 忠家(くじょう ただいえ、寛喜元年(1229年)7月 - 建治元年6月9日(1275年7月3日))は鎌倉時代の公卿。九条教実の子。母は藤原定季女。九条忠教の父。 九条師教の祖父。
寛元2年(1244年)の6月に内大臣、寛元4年(1246年)12月に右大臣となるが、建長4年(1252年)に辞職。文永10年(1273年)5月、関白となる。翌文永11年(1274年)正月、摂政となるが、同年6月に辞める。
建治元年(1275年)6月9日、47歳で死去。一音院関白と呼ばれた。
[編集] 系図
- 正室・三条公房女
子女
- 九条忠教
- 九条忠嗣