中目覚
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中目 覚(なかのめ あきら(またはさとる)、明治7年(1874年) - 昭和34年(1959年))は日本の言語学者、地理学者。
1899年に東京帝国大学の独文学科を卒業後、第四高等学校(後の金沢大学)でドイツ語教授をしていたが、1903年に広島高等師範学校(後の広島大学)でドイツ語と地理学を教えるようになる。1903年から3年間ドイツ・オーストリアへ留学をし、氷河地形や気候学を修得し、1907年に広島高等師範学校に地理教育の課程を創設。その後、旧制松山高校、京都帝国大学などで地理学を講じた。また、戦時中には華北日本語教育研究所長をつとめ大陸での日本語普及を行った。その後大阪外国語学校(後の大阪外国語大学)の学校長をつとめ、言語学、古代文字解読、地理学と様々な分野に足跡を残した。
主な著書に『樺太の話』、『土人教化論』など。