中村光夫
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中村光夫(なかむら みつお 1911年2月5日 - 1988年7月12日)は、日本の文芸評論家、作家。第6代日本ペンクラブ会長、文化功労者、芸術院会員。私小説批判で有名。
東京市下谷区練塀町(現在の東京都台東区秋葉原)生まれ。本名、木庭一郎。祖父木庭榮は医師。
1917年、東京市本郷区追分小学校に入学。本郷区誠之小学校に転じて卒業後、1923年、東京高等師範学校附属中学校入学。
1928年、第一高等学校文科丙類(文系仏語クラス)入学。1931年4月、東京帝国大学法学部に入学するも、同年6月に自主退学。翌1932年4月、東京帝国大学文学部仏文学科に再入学し、1935年3月に卒業。卒論のテーマはモーパッサン。
大学時代から『文學界』に評論を発表して文壇に登場。1936年、同誌に連載した「二葉亭四迷論」で第一回池谷信三郎賞受賞。
1938年、フランス政府に招かれて渡仏し、パリ大学に学ぶも、1939年、第二次世界大戦勃発に伴って帰国。戦時中は同人誌『批評』を発行し、軍国主義に抵抗した。戦後は鎌倉アカデミアで教鞭を執る。
独特の「ですます」文体による評論は、当人は「文章を長くして原稿料を余分に取るため」と韜晦していたものの、従来の難解で衒学的な文芸評論と一線を劃し、平易さに主眼を置いた評論を確立するにあたって功績が大きかった。
代表的著書に『風俗小説論』『谷崎潤一郎論』などがある。丹羽文雄との風俗小説論争はよく知られている。実作者としては『わが性の白書』などの小説や、戯曲も著した。
姉しげ子は、作家深田久弥の二度目の妻。弟木庭二郎と木庭三郎は共に理論物理学者。