中川勝彦
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中川勝彦(なかがわ かつひこ、1962年7月20日 - 1994年9月17日)は、日本のミュージシャン・歌手、俳優。東京都出身。血液型A型。主に1980年代に活動した。2006年現在、勝彦の娘の中川翔子がテレビ等で活躍している。
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[編集] 略歴
1978年、慶應義塾高等学校に入学し、そこでバンド活動を始める。1980年の高校3年の時に、NHK「ヤングミュージックフェスティバル」に出場し、デビューのきっかけとなる。
慶應義塾大学進学後(のちに中退)も映画「ねらわれた学園」、「転校生」などに出演し、人気を博す。
テレビドラマ等でも活躍していたが、1992年9月に急性骨髄性白血病で倒れ、以後9ヶ月の闘病生活を経て復帰したが、1994年8月に白血病が再発し、32歳の若さで死去する。
[編集] 人物
- 怪獣映画や漫画を大変好んでいた。娘・中川翔子によれば、美男子シンガーとして有名な父親も、家では「怪獣オタクの変なお父さん」だったそうである。彼女が特撮ファンになったのも父親の薫陶の賜物だという(ちなみに自らも特撮番組「世界忍者戦ジライヤ」にゲスト出演したことがある)。
- 『海峡』撮影中、森谷司郎と演技をめぐりモメ、出演シーンを大幅にカットされたいきさつがある。
- 日本を代表するギタリストCHARとも親交が深く、コンサートツアーやレコーディングに同氏も参加していた。
- タレントの北野誠、兵藤ゆきとはラジオの共演などから大の親友であった。
- NHKのラジオ番組で桑田靖子とパーソナリティを務め、まだ無名の新人アーティストの曲や、ヒット曲ではないが名曲を自ら選曲し、多数紹介した。
- 日本テレビ年末時代劇スペシャル『白虎隊』の沖田総司役は、まさに彼の将来の運命を暗示していたかのようだった。
[編集] エピソード
- 2006年の24時間テレビのコーナー内で、娘・中川翔子が9歳の誕生日の時、病床から手作りのバースデーカードをおくったエピソードが紹介された。彼の死後、彼に関するスキャンダルが噂されると、翔子はバースデーカードをゴミ箱に捨てたそうだが、母親により元に戻され、今に至っている。また、その当時のある日、父親の病床の姿の録られたビデオを見つけ、それが女優になるきっかけになった。
[編集] テレビ
- 「ミッドナイトin六本木」(1984年、テレビ朝日)
- 「TOKIOロックTV」(1985年頃、テレビ東京)
[編集] ドラマ
[編集] ラジオ
[編集] アニメ
[編集] 特撮
[編集] 映画
[編集] 出版
[編集] 音楽
[編集] シングル
- 「してみたい」(1984年2月22日、ワーナー・パイオニア)
- 「花の首飾り」(1984年5月10日、ワーナー・パイオニア)
- 「Please Understand Me」(1984年10月1日、ワーナー・パイオニア)
- 「Skinny」(1985年5月25日、ワーナー・パイオニア)
- 「ナンシーChang」(1985年7月10日、ワーナー・パイオニア)
- 「クール・ロマンティック」(1986年2月25日、ワーナー・パイオニア)
- 「fromシンデレラ」(1986年5月25日、ワーナーパイオニア)
- 「ラスト・ウィッシュ―同じ色のクリスマス」(12inch)(1986年11月28日、ワーナー・パイオニア)
- 「アルバイト・ドリーマー」(1988年9月21日、NECアベニュー)
- 「I CALL YOU」(1989年8月21日、NECアベニュー)
[編集] アルバム
- 「してみたい」(1984年2月22日、ワーナー・パイオニア)
- 「Double Feature」(1984年9月25日、ワーナー・パイオニア)
- 「ペントハウスの夏」(1985年5月25日、ワーナー・パイオニア)
- 「FROM PUBERTY」(1986年6月25日、ワーナー・パイオニア)
- 「MAJI-MAGIC」(1987年2月25日、ワーナー・パイオニア)
- 「ラヴァー・ピープル」(1988年9月21日、NECアベニュー)
- 「HUMAN RHYTHM」(1989年8月21日、NECアベニュー)
- 「CRACK SICK」(1991年7月21日、アルファレコード(ユニット「10th st2nd」名義))
- 「MADE IN JAPAN」(1991年11月21日、アルファレコード(ユニット「10th st2nd」名義))
- 「Again Me... - 中川勝彦メモリアルアルバム」(1994年12月21日、NECアベニュー)
- 「Rebirth」(1995年10月21日、NECアベニュー)