ミッドナイトin六本木
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ミッドナイトin六本木(ミッドナイトインろっぽんぎ)は、テレビ朝日(当時の正式社名は全国朝日放送)系列で1984年10月6日から1985年9月26日までの毎週土曜日24:10(日付は日曜)から2時間放送放送されていた深夜番組(いわゆるお色気番組)である。
司会はジャズ歌手の真里邑ケイと当時テレビ朝日アナウンサーだった古舘伊知郎。
前年、大ヒットを飛ばした「オールナイトフジ」(フジテレビ)に対抗すべく、この年の10月改編で日本テレビが「TV海賊チャンネル」、TBSが「ハロー!ミッドナイト」、テレビ東京が「夜はエキサイティング」といった同様の長時間番組をスタート。これに当番組も加わり、「土曜深夜戦争」と呼ばれた。
「ハロー!~」を除いた番組は性風俗をウリにしているが、この番組もご多分にもれず性風俗が売りで番組の名物コーナーは「今週のピンク・ニュース」というアダルトビデオや性風俗嬢を取り上げたものだった。 しかし郵政省(現在は総務省)からクレームをつけられると性風俗をウリにしたコーナーは打ち切られ企画を変えて番組は続けられたが、1年後の1985年、平日の夜に大型ニュース番組ニュースステーションを開始することになった。当時の編成・製作部門のトップであった小田久栄門が「エロ」路線を嫌ったこともあり、「Nステ」の犠牲となる形で1985年9月26日に終了した。
[編集] 後日談
「ミッドナイト~」を終了させた小田はその2年後、ジャーナリストの田原総一朗に新しい感覚の深夜番組の企画を打診した。 その際に小田は「最近の深夜番組は若い女性をスタジオに呼んでおふざけするといったものばかりで…」と当時の深夜番組の内容の低俗ぶりを批判する愚痴をこぼしていた。 小田の打診を受け、田原がプロデューサーの日下雄一に依頼して製作させたのが朝まで生テレビ!である。