上杉聰
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上杉 聰(うえすぎ さとし、1947年 - )は、岡山県出身の評論家、部落史研究家。1970年、上智大学文学部哲学科卒業。関西大学講師、日本の戦争責任資料センター事務局長。
大学卒業後、タクシー運転手で生計を立てる傍らでまとめた論文「『解放令』成立過程の研究」(『部落解放研究』掲載)が、近代部落史研究者の間で大きな反響を呼び、一躍、有力研究者と目されるようになった。
部落史研究の他、日本の戦争責任問題にも関心を持ち、日本の戦争責任資料センター設立にも参加し、事務局長に就任した。
小林よしのり著『ゴーマニズム宣言』において自らの従軍慰安婦についての主張を批判された事を受けての反論として『脱ゴーマニズム宣言』を著した。その中で小林氏の記述に事実誤認が多く、詐術的論法を多用していると批判した。
『脱ゴーマニズム宣言』の発刊を巡っては、その著書の中で『ゴーマニズム宣言』の絵を含む漫画のコマを引用として採録している事、採録されたコマの一部が改変されている事が著作権の複製権と同一性保持権の侵害に当るとし、55件の採録とと5件の改変を違法とし、さらに題名に「ゴーマニズム宣言」の語を使用している事を不正競争防止法違反として、小林よしのりが1997年12月25日に著書の販売差し止めと慰謝料を求めて東京地方裁判所に提訴した(脱ゴー宣裁判)。 確定した判決では、題名への「ゴーマニズム宣言」の使用、55箇所のコマ採録は全て引用として、正当と認定。コマ改変も5箇所中4箇所も正当な理由ありとされ、レイアウトの都合でコマ配置を変更した1箇所のみが違法とされた。 なお、現在販売されている「脱ゴーマニズム宣言」は該当箇所が修正された修正版であり合法である。修正に伴う内容の変化は全く無い。
また、上杉聰は小林よしのりを相手取って、小林の著書「新ゴーマニズム宣言」中の風刺について、名誉毀損にあたるとして1776万円の賠償請求訴訟を起こしたが、こちらは最高裁判決を経て上杉聰の敗訴が確定している。(新ゴー宣裁判)
上杉は2005年発刊の共著『使ったら危険「つくる会」歴史・公民教科書』(明石書店)で、扶桑社の2002年(2001年度)の赤字が新しい歴史教科書をつくる会執筆の教科書採択運動の敗北によるものであるとし、扶桑社の経営が成り立たなくなって教科書発行から手を引く可能性を指摘している。 実際は、デル・プラド事件による損失が原因であり、採択反対運動の影響はほとんど無い。しかし、採択反対運動の活動家の間では上杉の考えを支持する者が多く、また彼らの中では扶桑社がフジテレビジョンの子会社であることを知らない者がかなり存在するといわれ、彼らのホームページでは上杉の主張を扶桑社の裏事情として掲載しているものが多い。
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[編集] 訴訟の経過(著作権裁判)
- 提訴以来8回にわたる公判。上杉側は、アルマン・マトゥラール『ドナルドダックを読む』、夏目房之介『笑う長嶋』、ロフトブックス編(実際の著者は宅八郎・松沢呉一ら)『教科書が教えない小林よしのり』、呉智英『マンガ狂につける薬』などを、著作権者の許可なく漫画を引用している実例として証拠に提出。小林側は著作権者の許可を求める事が慣例であることの実例として膨大な量の証拠を提出したが、量的に少ない上杉側の証拠の方に重きが置かれた判決文であったため作為的な判決との批判を一部より受ける。しかし本来引用において引用元の許可は不要であり、許可を受ける受けないは引用しようとする者の自由である。許可を受けた事例だけでは許可を受けねばならないと言う強制性を伴う慣習の成立を意味しない。一方反例は少数であっても強制性を覆す事例となり得る。
- 1999年8月31日 東京地方裁判所は小林側の訴えを全面的に棄却。
- 1999年9月10日 一審判決を不服として小林側が東京高等裁判所に控訴。その際に不正競争防止法違反については控訴せず。前述の慣習についても控訴審では争っていない。
- 2000年2月24日 東京高等裁判所は著書の販売差し止めと慰謝料20万円の支払いを上杉側に命じる判決。ただし、その他の請求については棄却。仮執行宣言も必要なしとされた。敗者負担が原則の訴訟費用を、その249/250を小林側の負担とした。「平成一一年(ネ)第四七八三号 著作権侵害差止等請求控訴事件(原審・東京地方裁判所平成九年(ワ)第二七八六九号」(東京高裁判決、PDFファイル)。
- 控訴審判決を巡っては、双方が自らの勝訴を主張する声明を発表。判決内容は、訴点の大半、55箇所の引用と4箇所の改変を適法とし、ただ1箇所、編集上の都合でコマの配列を変更した点(引用自体はやはり適法)のみを違法としたもの。従って、当該箇所さえ再編集すれば販売再開は全く問題なしとするものであった。
[編集] 特記事項
「引用」、つまり著作権法が認める無断での使用がどの程度認められるかについては、各方面で争いがあった。文章についてはある程度の通説判例が固まっているが、それ以外の分野については判例が少なく、明確な基準が見出しにくい。
この訴訟は、その「明確な基準」が存在しなかった「漫画」の分野において、「ここまでは引用として認め得る」という基準を提示した判決を引き出したものである。
現実問題、こういった判例が確立させるのを恐れて、著作権者側はあまり深追いをしないのが通例である。ある意味でこの訴訟と判例確保については、上杉側の自力点というよりは小林よしのり側の失点によるものでもあるが、それでも「漫画における引用」についての判例を確保したことについては、高く評価し得るものである。
[編集] 訴訟の経過(名誉毀損裁判)
- 2000年9月8日 上杉聡、小林よしのりの漫画中の風刺を名誉毀損として、東京地方裁判所に提訴。
- 2002年5月28日 東京地方裁判所は上杉側の訴えを全面的に棄却。後日、上杉側は控訴。
- 2003年7月31日 東京高等裁判所は上杉側の訴えを認め、小林側に謝罪広告と賠償金250万円の支払いを命ずる判決。
- 2004年7月15日 最高裁判所が高裁判決を破棄し、上杉側の訴えを全面棄却。上杉側の敗訴が確定。