三津谷祐
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三津谷祐(みつや ゆう, 1984年12月18日 - )は香川県観音寺市(旧三豊郡大野原町)出身の男性陸上競技選手。2005年世界陸上選手権ヘルシンキ大会の10000m走代表。
尽誠学園高等学校時代から持ち前のスピードを生かした走りでトラック、駅伝に活躍した。トヨタ自動車九州に入社後も、バルセロナオリンピック マラソン銀メダリストの森下広一監督の指導で着実に力をつけた。 また小学校時代に、三津谷に陸上を教えた池田義晴教諭は今も観音寺市の大野原小学校で陸上競技を教えている。(池田義晴氏は、オリンピック100m走地方予選にてあと0.2秒で全国予選に出場できていた。)
2005年の日本選手権10000m走で優勝し、一度は世界陸上選手権の代表に選ばれたが、参加標準記録Bしか破っていなかったため、A標準を破っていながら落選した高知・くろしお通信の大森輝和サイドから抗議があり、日本陸上競技連盟が誤りを認め、異例の再選考となった。
2005年6月29日のホクレン・ディスタンスチャレンジ深川大会で10000m走に三津谷が出場し、同レースに出場した同僚のサムエル・ワンジルのアシストをうけ、27分41秒10の日本歴代3位(国内日本人最高記録)をマークし、見事にA標準を突破した。その結果、大森、三津谷両名が代表入りを果たした。
2人は共に香川県出身で、この騒動を乗り越え、友情は深まった。なお、ヘルシンキ大会は三津谷が19位、大森が22位。
高校時代にはマイルリレー(4×400mリレー)のアンカーを務めるなど、スプリント能力も優れている。