三宝村
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三宝村(さんぼうむら)は、大阪府にあった村。現在の堺市北西部、大阪湾に注ぐ大和川南岸河口にあった。廃止時点の面積は3.20km²、人口は4,169人。
「三宝」の地名は、現在も小学校名などに残っている。
[編集] 歴史
三宝の地名は、宝暦年間にこの地域にあった三か村が合併したことから、「三」と宝暦の「宝」をとったものだという。江戸時代、川の付け替えによってこの村の北を注ぐようになった大和川の土砂が沖合いへと堆積し、新田開発が盛んに行われた。
1889年(明治22年)4月に町村制による大鳥郡三宝村として発足。1896年(明治29年)4月には郡の統合により泉北郡に属する。1926年(大正15年)10月1日に、堺市に編入合併され消滅した。