三好義継
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三好 義継(みよし よしつぐ、天文20年(1551年) - 天正元年11月16日(1573年12月10日))は戦国時代の人。三好長慶の養嗣子。実父は長慶の弟十河一存。長慶の実子三好義興が若死にしたため、長慶の養嗣子となって三好主家に入り、1564年に養父・長慶の死で家督を相続した。
家督相続当時、既に重臣の松永久秀や三好三人衆が主家を凌駕する実力を保持していて、義継は彼らの傀儡に過ぎなかった。1565年に松永久秀や三好三人衆に担ぎ出され、13代将軍・足利義輝の暗殺に加担した。
その後三好三人衆と不仲になって一時拘禁されたが、1568年に織田信長が上洛してくるとこれに降って、河内半国と若江城の領有を安堵された。後に15代将軍・足利義昭(義輝の弟)の妹を娶る。1572年に将軍足利義昭らの反信長包囲網に呼応して信長から離反したが、翌年の1573年、佐久間信盛が率いる織田軍に若江城を攻められその妻子とともに自害した。