三好義興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三好 義興(みよし よしおき、天文11年(1542年) - 永禄6年(1563年))は戦国時代の人。三好長慶の嫡男。
父に劣らず智勇に秀でていた。六角義賢が京都に侵攻して来たときも松永久秀と協力してこれを撃退し、1562年には河内飯盛山城の戦いで勇猛で鳴る畠山高政の軍勢に大勝するなど、若い頃からその有能さを天下に示していた。これらの功により、筑前守や従四位下を叙任され、幕府の御相伴衆にまで任じられている。また、義興は豊かな教養人でもあり、将軍・足利義輝や公家たちからの信望も厚かった。
しかし1563年、突如として居城・芥川山城において急死した。これには主家征服を目論む松永久秀の毒殺説の疑いが強いが、真偽は定かではない。また、父の長慶は義興の死で心身に異常をきたし、翌年に後を追うように病没している。