万世橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
万世橋(まんせいばし)は、神田川に架かる橋の1つ。秋葉原の電気街から南へ、神田駅の方へ向かうときに渡る橋。橋の北は外神田一丁目、南は神田須田町一・二丁目で、道路は中央通り(国道17号)である。南へ渡ってすぐ、JR中央線のガードをくぐる。くぐってすぐ右へ、交通博物館(2006年(平成18年)5月閉鎖)の前を通る細い道が、1930年(昭和5年)までの中央通りであった。
長さ26m、幅36mの石およびコンクリート製のアーチ橋。上流に昌平橋が、下流にJR秋葉原駅~神田駅間の高架が架かっている。
至近に、今は廃された万世橋駅があった。
目次 |
[編集] 歴史
- 万世橋の歴史は、1676年(寛文16年)にできた筋違橋(すじかいばし)にさかのぼる。この橋は、徳川の将軍が寛永寺に詣でるときに渡る橋で、現在の昌平橋と万世橋との中間に架かっていた。すぐ南に筋違見附があった、というより、橋が見附の付属物であった。
- 1872年(明治5年)筋違見附がこわされ、その石材を使って翌1873年(明治6年)、筋違橋のところに、アーチ二連の石造りの橋が完成し、当時の東京府知事大久保一翁が萬世橋(よろずよばし)と命名した。そしてしだいに、まんせいばしという音読みの方が一般化した。眼鏡橋とも呼ばれた。
- 上流の昌平橋が1873年(明治6年)洪水に流され、1896年(明治29年)に復旧されるまでは、現在の万世橋の位置に木橋が架けられ、それが昌平橋と呼ばれた。すなわち、この期間は、万世橋の下流に昌平橋があった。
- 1903年(明治36年)、いちじ昌平橋と呼ばれた仮の木橋のところに(現在の位置に)、新しい万世橋が架けなおされ、元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、1906年(明治39年)に撤去された。新しい方の万世橋は、1923年(大正12年)の関東大震災に被害を受け、修復された。
- そしてさらに1930年(昭和5年)、大震災後の帝都復興事業の一環として、現在の「長さ26m、幅36mの石およびコンクリート製のアーチ橋」ができた。
(万世橋を南へ渡り、ガードをくぐって直に神田駅の方へ向かう道、および、九段・両国橋を結ぶ靖国通り、したがって現在の須田町交差点は、1929年(昭和4年)にできた。)
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 明治・大正・昭和・東京周辺一万分の一地形図集成 柏書房(1981)
- 明治・大正・日本都市地図集成 柏書房(1986)
[編集] リンク
カテゴリ: 日本の橋 | 東京都の建築物・観光名所