一色持範
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一色 持範(いっしき もちのり、生没年不詳)は、室町時代の武将。一色満範の庶長子。弟に一色義貫、一色持信がいる。二郎、式部少輔と称す。子は一色政照。
将軍足利義持の一字を貰い持範と名乗る。父満範が応永16年(1409年)正月に没すると、その後継を巡って弟義貫と争う。持範には旧若狭・三河守護代で満範に滅ぼされた小笠原氏の残党が支持勢力として付いたらしいが、義貫側は幕府の支持も取り付け、結局和睦することになった。『若狭国守護職次第』では和睦の時期を応永18年(1411年)6月の事とする。ただし『系図纂要』が和睦の結果、丹後守護職は持範、若狭守護職には義貫がなったというのは誤りで、持範は終生守護職に就くことなく終わった。
持範の系統は後年、室町幕府将軍直属軍である奉公衆となり、更に織田信長、豊臣秀吉に仕えた後、江戸幕府の旗本となった。