一柳直盛
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一柳 直盛(ひとつやなぎ なおもり、永禄7年(1564年) - 寛永13年8月19日(1636年9月18日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。一柳直高の次男で、豊臣秀吉に仕えた一柳直末の弟。名ははじめ「三政」。通称四郎右衛門。従五位下監物。
美濃国厚見郡に生まれ、兄・直末に従って武功をあらわす。天正18年(1590年)、小田原攻めで直末が戦死したため、その後を継いで豊臣秀吉に仕えた。尾張国黒田城主となり30000石を知行し、豊臣秀次に属して各地で奉行として検地に携わった記録が残る。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与して岐阜城攻めに加わり功を挙げたため、伊勢国神戸藩に50000石の所領を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の役でも徳川方として参戦し、功を挙げた。晩年に伊予国西条藩5万8600石、播磨国加東郡1万石の計6万8600石の所領を与えられたが、任地に赴く途上の寛永13年(1636年)8月19日、病のために大坂にて没した。享年73。墓所:大坂の上寺町大仙寺。伊勢神戸の竜光寺に髪塚がある。