ルネサンス美術
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ルネサンス美術(-びじゅつ)は、美術の分野におけるルネサンスの表われであり、イタリアに興り、やがて各国に普及していった。文化運動であるルネサンスのうち、最も目に付きやすく、日本人にも親しまれている分野である。なお、建築についてはルネサンス建築を参照。
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[編集] イタリア・ルネサンス
イタリア・ルネサンスの始まりはチマブーエあるいはその弟子ジオット(1276年? - 1337年)の絵画とされる場合も多い。しかし「人間性」を尊重した彫刻家ドナテッロと「線遠近法」を完成させた建築家ブルネレスキの二人の特徴を、絵画において融合させたマザッチョが始まりだとする見解もある。このことからドナテッロ、ブルネレスキ、マザッチョは初期ルネッサンスの三大巨匠と呼ばれる。マザッチョ(1400年 - 1428年)は輪郭線を使わずに描くスフマートや空気遠近法など画期的な技法を始めている。フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピは聖母像の傑作を描き、サンドロ・ボッティチェッリ(1440年?-1510年)は異教的、官能的な題材の「ヴィーナスの誕生」「春」などフィレンツェ・ルネサンスを彩る作品を残す。彫刻ではヴェロッキオらが活躍した。以上は初期ルネサンス(Early Rennaisance)とされる。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年 - 1519年)、ミケランジェロ(1475年-1564年)、ラファエロ(1483年 - 1520年)の3人の活躍した16世紀初めの30年ほどをイタリア・ルネサンスの美術が頂点を極めた時期として、盛期ルネサンス(High Rennaisance)と呼び、その3人を盛期ルネッサンスの三大巨匠と呼ぶ。レオナルドのモナ・リザ、ラファエロの一連の聖母子像、ミケランジェロのダビデ像(彫刻)やシスティーナ礼拝堂天井画「天地創造」などがこの時期を代表する。長く西洋美術の理想の時代とみなされた。
ローマ略奪によりローマが荒廃すると、ヴェネツィア派の活躍が見られた。夭折した天才画家ジョルジョーネによって基礎が作られたヴェネツィア絵画はティツィアーノに引き継がれた。
ローマ略奪後の時期をイタリアの後期ルネサンス(Late Rennaisance)という。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂壁画「最後の審判」や、のちにマニエリスムと呼ばれる絵画などもおおよそここに含まれる。
[編集] 北方ルネサンス
- ネーデルラント(ベルギー・オランダ)
- 15世紀のファン・エイク兄弟が油絵の技法を完成させており、このころのネーデルラント絵画はイタリア・ルネサンスと並び立つ水準にあり、むしろイタリア絵画に大きな影響を与えるほどであった。16世紀頃には逆転し、イタリアを手本とするようになった。ブリューゲル(1525年-1569年)もイタリア旅行をしたのち、独自の農村風景画を描くようになった。怪奇な画風の作品を残したヒエロニスム・ボッシュも特異な位置を占めている。
- フランス
- イタリアに進軍したフランソワ1世の時代(イタリア戦争の項を参照)にレオナルド・ダ・ヴィンチが宮廷に招かれ、イタリアのルネサンス美術が伝えられた。その後もロッソ・フィオレンティーノらがイタリアから宮廷に招かれ、マニエリスムの影響を受けたフォンテーヌブロー派が活躍する。
- ドイツ
- デューラー(1471年-1528年)はイタリア旅行を経て、ルネサンス絵画に学び、思想的にも深みのある表現に達した。銅版画の「メランコリア」や油彩の「四人の使徒」などの宗教画がよく知られている。
- スペイン
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Category:Renaissance art[1]