ヨハン・ヨーゼフ・フックス
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ヨハン・ヨーゼフ・フックス(Johann Joseph Fux) (1660年-1741年2月14日)はオーストリアのシュタイアーマルク州ヒルテンフェルトの農家の家系で1660年頃に生まれたバロック音楽の作曲家、オルガン演奏家、チェンバロ演奏家である。
若い頃の事は殆ど知られていない。
- 1680年(20歳) グラーツ大学の学生であった事が判明している。その後多分イタリアで学んだのではないかと思われる。
- 1690年-1695年(30歳-35歳) 記録ではこの若き音楽家はオルガン奏者としてウィーンのスコットランド教会で働いた。この頃の活動が皇帝の目にとまり宮廷に招かれることになったらしい。
- 1696年(36歳)頃 結婚。
- 1698年(38歳) オーストリア皇帝カール6世、(英語では皇帝チャールズ6世 1685年-1740年)によって宮廷音楽家に指名された。これまでの例では必ずイタリア人が指名されるのだが、多数の候補者の中でもフックスは特別に才能があったらしい。
- なお、カール6世は、ハプスブルク家の主流である皇帝ヨーゼフ1世の弟でヨーゼフが1711年若くして亡くなったため皇帝となった。その在位は1711年から1740年の29年間で、カール6世の娘が有名なマリア・テレジア(1717年-1780年)である。
- 1705年(45歳) ウィーンの聖シュテファン大聖堂の副楽長に指名される。
- 1711年(51歳) 宮廷の音楽監督に任命される。音楽家としてヨーロッパでは最高の地位であった。この頃からの30年間彼の全盛時代であり、おびただしい数の作品が残されている。
- 1715年(55歳) 聖シュテファン大聖堂の楽長となる。
- 1723年(63歳) 祝祭オペラコスタンツァとフォルテッツァ(Costanza e Fortezza)(邦訳は竪国と不抜?または、節操と力?)が作曲された。この曲は皇帝カール6世(Karl IV)がボヘミア王となった戴冠式を祝う為に作曲され、莫大な費用をかけてプラハ城で演奏された。この時の公演は極めて豪華で、ウィーン以外の音楽家達例えば、ジュゼッペ・タルティーニ(1692年-1770年)やクヴァンツ(1697年-1773年)、ゼレンカ(1679年-1745年)ら優れた音楽家達がオーケストラのメンバーに加わっており、また皇帝カール自身もチェンバロの演奏をした。
- 1725年(65歳) おそらく最もよく知られた著作、「パルナッソス(芸術の山)への階梯(階段)(Gradus ad Parnassum)」(邦訳では「古典対位法」)を発表した。ラテン語で書かれたこの対位法の教程書はJ.S.バッハの蔵書にもあり、ベートーヴェンもこれで勉強したと伝えられる。
- 1734年頃(74歳頃) 妻が死亡、その後の彼の作品は宗教的な色彩を帯びるようになった。
- 1741年2月14日(81歳) 皇帝カール6世死亡の翌年、ウィーンで死亡した。
- フックスは死ぬまで宮廷楽長を務めたが、フックスに対する皇帝の信頼は厚く、前述の対位法の教程書の出版費用は皇帝みずからが負担した。また、彼の部下には副楽長のアントニオ・カルダーラ(1670年?-*1736年)他優れた音楽家が多くおり、オペラや音楽劇が華やかに催されバロック音楽の最後の花を咲かせた。
死後フックスの名はまもなく忘れられたが、彼の宗教音楽は引き続き演奏され、作品は遺族に受け継がれた。100年後(19世紀の中ごろ)モーツァルトの作品を整理したケッヘルがフックスに興味を持ち、伝記と作品目録を出版した。これをきっかけに、この古い宮廷作曲家に対する興味が引き起こされ、オーストリア記念碑シリーズ(the Austrian Denkmaler series)で再出版され、教師としてだけではなく、立派な作曲家として陽の目を見る事になった。彼の様式はポリフォニー書法を主体とした中に近代的なナポリ楽派の様式を織り交ぜている。また、器楽曲にはフランス(リュリ)やイタリア(コレッリ)の影響がみられる。作品には、18曲のオペラ、10曲のオラトリオ、29のパルティータ、序曲の他約57の挽歌や詩篇がある。教則本にも彼の作品が取り上げられ、ピアノ初心者にも彼の小品はなじみが深い。