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ホセ・カンセコ (José Canseco Capas, Jr. 1964年7月2日生まれ)はアメリカ・メジャーリーグで活躍した元選手。キューバ、ハバナ出身で生後まもなく家族とともにアメリカのマイアミに移住した。 双子の兄・オジー・カンセコは、1991年1軍公式戦未出場ながら近鉄バファローズに在籍していた。
[編集] 来歴
- 1982年 ドラフト15位でアスレチックスから指名され入団。
- 1984年 1Aモデストで116試合に出場し、打率.276、15HR、73打点を記録した。
- 1985年 2Aハンツビルで開幕を迎え、58試合で打率.318、25HR、80打点という桁違いの数字を残し、3Aタコマへ昇格。3Aでも60試合に出場し、打率.348、11HR、47打点を記録し、9月に入るとメジャーへ初昇格を果たした。メジャー初打席は代打としての出場で三球三振に終わってしまい、その後も24打席で12三振とメジャーの壁に苦しんだが、終わってみれば29試合の出場で打率.302、5HR、13打点をマークし、マイナーとメジャーで合わせて41本のホームランを放った。
- 1986年 メジャーで開幕を迎えたが、シーズン途中で大きなスランプに苦しんだ。そのため、打率こそ.240と揮わなかったが、33HR、117打点と恐ろしいパワーを見せつけ、この年の新人王に輝いた。出場は出来なかったが初めてオールスターゲームのメンバーとしても選ばれた。一方で、157試合出場で球団記録となる175三振を記録。
- 1987年 159試合に出場し、打率.257、31HR、113打点をマークし、2年目のジンクスも感じさせぬ活躍ぶりを見せた。この年、チームメイトのマーク・マグワイアが49HRを放ち、新人王とホームラン王を同時に獲得したこともあり、カンセコとマグワイアで「バッシュブラザース」と呼ばれ、相手から恐れられるようになった。
- 1988年 打率.307、42HR、124打点をマークし、ホームラン王と打点王の二冠に輝き、MVPに受賞した。また、40盗塁も記録し、メジャー史上初の「40本塁打40盗塁」を達成した。オールスターゲームではリーグトップの票を集め、さらにチームも地区優勝も果たし、ワールドシリーズの舞台に立つこともできた。ドジャースとのワールドシリーズ第1戦では序盤にカンセコの満塁ホームランで勝ち越したアスレチックスだったが、最終回にクローザーのデニス・エカーズリーが打ち込まれサヨナラ負けすると、そのまま1勝4敗で敗れ去った。カンセコが記録したヒットは第1戦の満塁ホームランによる1本だけで、打率.053と大ブレーキとなった。
- 1989年 開幕前に左手を骨折し、7月まで戦列に復帰できなかった。しかし、復帰後、わずか65試合ながら17HRを記録。2年連続でワールドシリーズへコマを進めたアスレチックスの相手はサンフランシスコ湾を挟んで本拠を構えるジャイアンツで、ベイエリア決戦と注目を浴びた。サンフランシスコ大地震の影響で、途中10日間の中止があったが、アスレチックスが4連勝で世界一に輝いた。カンセコも4試合で打率.357をマークし、前年の屈辱を晴らした。
- 1990年 途中で故障者リスト入りすることもあったが、37HR、101打点をマーク。チームも3年連続リーグ優勝を果たした。しかし、ワールドシリーズではレッズに4連敗。4試合でヒットわずか1本と不振を極めたカンセコは途中でスタメンからはずされてしまう。
- 1991年 154試合に出場し、44HR、122打点をマークし、自身2度目のホームラン王に輝いた。MVP投票でもカル・リプケン、セシル・フィルダー、フランク・トーマスに次ぐ4位の得票。アスレチックス球団史上ではジミー・フォックス(3回)以来の快挙である2回目のシーズン40HR以上を記録した。
- 1992年 8月31日の試合中、打席に向かうカンセコは呼び止められ、レンジャーズへのトレードを通告された。
- 1993年 5月29日、大量リードされて負けている試合に志願してマウンドに立ち、1イニング2安打3四球3失点と散々な結果に終わった。この登板が原因で右肘を痛めてしまい、残りのシーズンを棒に振ってしまった。一時は選手生命さえ危ぶまれた。
- 1994年 打率.282、31HR、90打点を挙げて復活の兆しを見せるが選手会のストライキに阻まれた。シーズンオフにはレッドソックスへの移籍が決定。
- 1995年 途中に約1ヶ月の故障者リスト入りはあったが、打率.306、24HR、81打点をマーク。オフにFAとなったがレッドソックスと再契約を交わした。
- 1996年 2度の故障者リスト入りと怪我に泣く。オフには古巣アスレチックスへトレードで復帰した。
- 1997年 再びマグワイアとのバッシュブラザーズ復活に周囲は沸いたが、7月末にマグワイアのカージナルスへの移籍が決定。カンセコは怪我に苦しみ、8月以降はほとんど試合に出られなかった。オフにはFAとなり、ブルージェイズと契約した。
- 1998年 151試合に出場し、打率.237ながら、46HR、107打点をマークした。
- 1999年 デビルレイズに移籍。4月中旬に通算400号HRを放ち、5月には5試合連続HRを記録。82試合を終えた時点で31HR、69打点を挙げ、前年にシーズン70HRをマークしたマグワイアに劣らぬ活躍を見せるが、腰を痛め、椎間板ヘルニアの手術を受けることになり、戦線離脱。8月末には復帰するも以前の勢いを取り戻すには至らなかった。
- 2000年 5月中旬から約2ヶ月の故障者リスト入り。8月にヤンキースへ移籍。しかし、大した活躍は出来ず。自身10年ぶりになるワールドシリーズの舞台も出場機会は代打による1打席のみであった(結果は三振)。
- 2001年 自由契約となったカンセコは、エンゼルスとマイナー契約を結び、開幕ロースターを目指した。主砲のモー・ボーンが怪我でシーズン絶望となったこともあり、カンセコに期待が集まった。しかし、オープン戦が始まってもホームランが出ないカンセコにエンゼルスから告げられたのは解雇通告であった。その後は独立リーグでプレーしながらメジャー復帰の道を探ることになる。そして、ホワイトソックスのトーマスが怪我をしたこともありホワイトソックスと契約を交わした。76試合の出場で打率.258、16HR、49打点という数字に終わった。この年限りで現役を引退。
- 2005年 米CBS放送の人気番組「60ミニッツ」で自身が過去に筋肉増強剤を使用していたことを告白し、メジャーリーガーの多くが使用していると指摘し話題となった。自身が著した薬物使用に関する暴露本「JUICED」を出版。
- 2006年6月末に独立リーグゴールデンベースボールリーグのサンディエゴ・サーフドーグスと契約。DHとして出場している。同リーグのオールスター・ゲームでは余興として投手も務めた(結果は、1/3回を投げ、打者5人に対し3安打1四球4失点)。同チームには前年リッキー・ヘンダーソンが所属していた。
[編集] 獲得タイトル・記録
[編集] 年度別打撃成績
年度 |
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
四球 |
三振 |
打率 |
出塁率 |
長打率 |
1985 |
OAK |
29 |
96 |
16 |
29 |
3 |
0 |
5 |
13 |
1 |
4 |
31 |
.302 |
.330 |
.490 |
1986 |
OAK |
157 |
600 |
85 |
144 |
29 |
1 |
33 |
117 |
15 |
65 |
175 |
.240 |
.318 |
.457 |
1987 |
OAK |
159 |
630 |
81 |
162 |
35 |
3 |
31 |
113 |
15 |
50 |
157 |
.257 |
.310 |
.470 |
1988 |
OAK |
158 |
610 |
120 |
187 |
34 |
0 |
42 |
124 |
40 |
78 |
128 |
.307 |
.391 |
.569 |
1989 |
OAK |
65 |
227 |
40 |
61 |
9 |
1 |
17 |
57 |
6 |
23 |
69 |
.269 |
.333 |
.542 |
1990 |
OAK |
131 |
481 |
83 |
132 |
14 |
2 |
37 |
101 |
19 |
72 |
158 |
.274 |
.371 |
.543 |
1991 |
OAK |
154 |
572 |
115 |
152 |
32 |
1 |
44 |
122 |
26 |
78 |
152 |
.266 |
.359 |
.556 |
1992 |
※1 |
119 |
439 |
74 |
107 |
15 |
0 |
26 |
87 |
6 |
63 |
128 |
.244 |
.344 |
.456 |
1993 |
TEX |
60 |
231 |
30 |
59 |
14 |
1 |
10 |
46 |
6 |
16 |
62 |
.255 |
.308 |
.455 |
1994 |
TEX |
111 |
429 |
88 |
121 |
19 |
2 |
31 |
90 |
15 |
69 |
114 |
.282 |
.386 |
.552 |
1995 |
BOS |
102 |
396 |
64 |
121 |
25 |
1 |
24 |
81 |
4 |
42 |
93 |
.306 |
.378 |
.556 |
1996 |
BOS |
96 |
360 |
68 |
104 |
22 |
1 |
28 |
82 |
3 |
63 |
82 |
.289 |
.400 |
.589 |
1997 |
OAK |
108 |
388 |
56 |
91 |
19 |
0 |
23 |
74 |
8 |
51 |
122 |
.235 |
.325 |
.461 |
1998 |
TOR |
151 |
583 |
98 |
138 |
26 |
0 |
46 |
107 |
29 |
65 |
159 |
.237 |
.318 |
.518 |
1999 |
TBD |
113 |
430 |
75 |
120 |
18 |
1 |
34 |
95 |
3 |
58 |
135 |
.279 |
.369 |
.563 |
2000 |
※2 |
98 |
329 |
47 |
83 |
18 |
0 |
15 |
49 |
2 |
64 |
102 |
.252 |
.377 |
.444 |
2001 |
CWS |
76 |
256 |
46 |
66 |
8 |
0 |
16 |
49 |
2 |
45 |
75 |
.258 |
.366 |
.477 |
Total |
' |
1887 |
7057 |
1186 |
1877 |
340 |
14 |
462 |
1407 |
200 |
906 |
1942 |
.266 |
.353 |
.515 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク