ベルリン国立歌劇場
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ベルリン国立歌劇場(独:Staatsoper Berlin)はドイツの著名な歌劇場(オペラハウス)である。本拠地はベルリン市のウンター・デン・リンデン通りに面したところにある。オペラ公演のほか、付属するオーケストラがベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン) の名称で活動することでも知られる。
- 別名リンデン・オパー(リンデン・オペラ)。また、東西分裂時代に西ベルリンで活動した「ベルリン・ドイツオペラ」(1963年に初来日)は別団体である。
目次 |
[編集] 初期の歴史
最初の建物はフリードリヒ2世の命により1741年7月に起工された。これは「フリードリヒ広場」を構成する最初の建築物でもあった。建物は未完成ながら、1742年12月7日にカール・ハインリヒ・グラウンの『クレオパトラとシーザー』の上演で開場した。この上演が、国立歌劇場および16世紀に遡る起源をもつ管弦楽団の250年に渡る成功した協力の始まりであった。
1942年、ゴットフリート・ヴィルヘルム・タウベルトはオーケストラの定期公演の制度を作った。同年、マイアベーアがスポンティーニの後任として総支配人に就任した。また、メンデルスゾーンもシンフォニーコンサートの指揮者を1年間務めた。
1843年8月18日、ウンター・デン・リンデンの劇場は火災で焼失する。翌年、建築家カール・フリードリヒ・ラングハンスによる新劇場が竣工し、マイアベーアの『シュレジアでの野営』の上演で開演した。
1821年、ベルリン国立歌劇場はウェーバーの『魔弾の射手』を初演。さらに1849年にはニコライの『ウィンザーの陽気な女房たち』を作曲家自身の指揮で初演している。
[編集] 20世紀
19世紀末から20世紀初頭に掛けてベルリン国立歌劇場には、フェリックス・フォン・ヴァインガルトナー、カール・ムック、R.シュトラウス、レオ・ブレッヒなどの傑出した指揮者が登場した。
1918年のドイツ帝国の崩壊後、歌劇場は「ウンター・デン・リンデン国立歌劇場」(リンデン・オパー)、宮廷管弦楽団は国立歌劇場管弦楽団に改称された。
1920年代にはフルトヴェングラー、E.クライバー、クレンペラー、ツェムリンスキー、ヴァルターらが指揮台に登った。1925年にはベルクの『ヴォツェック』の初演が、E.クライバーの指揮で作曲家を前にして行われた。
1928年4月には徹底的な近代化改修を経て『魔笛』の新演出で公演を再開した。同年有名なロシアのバス歌手シャリアピン、ディアギレフのロシア・バレエ団と指揮者のアンセルメが客演に加わった。1930年、E.クライバーが指揮してミヨーの『コロンブス』を初演した。しかし、1934年ベルクの『ルル』組曲がクライバー指揮で演奏されると、ナチ党がスキャンダルを扇動し、クライバーは亡命を余儀なくされる。
ヒトラーによるナチ党掌握後、ユダヤ系の団員は解雇された。クレンペラー、ブッシュなど、歌劇場に関わる多くのドイツ人音楽家が亡命した。第三帝国支配下ではロベルト・ヘーガー、ヨハネス・シューラーおよびカラヤンが楽長を勤めた。1944年、カラヤンの指揮で最初のステレオ録音が実施された。
第二次世界大戦中、歌劇場の建物は2回の爆撃を受け完全に破壊された。最初(1941年)の爆撃後は速やかに修復されたが、2回目の破壊(1945年)からの再建は長期を要した。再開にあたって、2回ともヴァーグナーのニュルンベルクのマイスタージンガーが上演された。また、1945年にはベルリン・ドイツ国立歌劇場と改称された。
[編集] 戦後の復興
1955年に再建され、ヴェーバーの『オイリアンテ』の上演で幕を開けたが、1961年、ベルリンの壁が築かれるとこの歌劇場は孤立したが、なおも古典派からロマン派に加え近代・現代のバレエとオペラを含む広範囲なレパートリーを維持した。
東西ドイツの再統一後、リンデン・オペラはオペラ界に復帰する。過去上演されていた重要な作品が再発見されてベルリン・ドラマトゥルギーの枠組みで改めて議論された。特に『クレオパトラとチェーザレ』『クロイソス』『グリセルダ』などバロックオペラが注目の的となった。これらの作品はフランドル出身の指揮者ルネ・ヤコブとベルリン古楽アカデミーおよびフライブルク・バロック管弦楽団によりオリジナル楽器で演奏された。
1992年、アルゼンチン生まれのイスラエル人指揮者・ピアニストのバレンボイムが音楽監督に指名された。2002年のベルリン音楽祭ではバレンボイムが指揮し、劇演出家ハリー・クプファーとの協力で制作されたヴァーグナー作品の連続公演が10回にわたり開催された。
[編集] 外部リンク
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