ベティ・ブープ
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ベティ・ブープ(Betty Boop)は、マックス・フライシャーにより制作されパラマウント映画から配給された一群のアニメーション映画に登場する、架空の少女キャラクターである。ベティはその豊富な性的魅力により人気を博し、1930年代の終りにその魅力に翳りが差したものの、今日でもセックスシンボルとして根強い人気を保ち続けている。
ベティが出演したアニメーション映画は1巻ものと呼ばれるフィルム・リール1巻の6分から10分程度の短編で、そのほとんどが白黒である。多くは1930年代に日本に輸入され、「ベティさん」の愛称で多くの観客に親しまれた。ベティ映画は1938年まで日本で輸入され、第二次世界大戦後は劇場で上映されることはなかったが、1959年5月7日から同年12月24日にかけて日本テレビの『ベティちゃん』で過去に制作されたベティ映画が放映された。味の素マヨネーズのイメージキャラクターにもなったことがあり、日本においても、ベティ・ブープのキャラクターは幅広い年齢層に親しまれている。
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[編集] 初期作品
1930年8月9日に、フライシャー兄弟による『トーカートゥーン(原題:Talkartoon)』シリーズ6番目の作品『Dizzy Dishes(日本未公開)』で、ベティ・ブープは銀幕へのデビューを飾った。ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークス両スタジオのベテランアニメーターであるグリム・ナトウィックにより、パラマウント映画の作品に女優として出演していた女性歌手ヘレン・ケーンをモデルにして、ベティは創造された。しかしながら、その時のベティは今日知られているような姿ではなかった。当時の一般的な慣習に従って、ナトウィックはこの新キャラクターをフレンチ・プードルとしてデザインしたのである。
後になって、ナトウィックはベティの外見がかなり醜悪であることを認めざるを得なくなった。1932年の作品『ビン坊の屑屋(原題:Any Rags)』において、ナトウィックはベティを人間としてデザインし直した。プードルの垂れ耳はイアリングとなり、ふわふわした体毛はボブヘアーとなった。ベティは頭よりもハートを重んじるおてんば娘として、10本のアニメーション作品で脇役を演じた。個々の作品ではベティははナンシー・リー(Nancy Lee)やナン・マクグリュー(Nan McGrew)と呼ばれ、多くの場合犬のビンボーの恋人役として登場した。彼女は1931年の「Screen Songs」シリーズの一作『大学の人気娘(原題:Betty Coed)』にもベティの名で登場しているものの、彼女が正式に「ベティ・ブープ」の名を授けられたのは、1932年の短編映画『花形ベティ(原題:Stopping the Show)』からである。また、この短編は『トーカートゥーン』シリーズではなく、「ベティ・ブープ」シリーズの正式な第一作であった。
初期のシリーズでは複数の声優がベティの声を演じたが、1931年にメー・ケストルがベティ役を演じて以降は、彼女がベティの声優として定着することになった。
[編集] セックスシンボルとしてのベティ
しかしながら、ベティはまだ完全ではなかった。マックス・フライシャーの弟デイヴ・フライシャーは、ベティをより女性的かつセクシーなキャラクターに変貌させた。今日知られているベティ・ブープの個性は、キャブ・キャロウェイがテーマ曲を歌った1932年の短編『ベティの家出(原題:Minnie The Moocher)』で初めて発揮された。この映画において、家出をしたベティはビンボーと一緒に、セイウチのお化けの住む洞窟に迷い込む(お化けの動きはキャロウェイの演技をロトスコープしたもの)。お化けの歌う「ミニー・ザ・ムーチャー」に脅かされて、ベティは命からがら家へ逃げ帰る。
性的な意味での“女性”を演じた最初のアニメーションキャラクターとして、ベティ・ブープは注目に値する。ミニー・マウスのような同時期の他の女性キャラクター達は、女性の記号として恒常的にそのパンツを見せていたが、女性的にデフォルメされた外見を持ってはいなかった。そんな彼女らに対し、ベティはその女性らしさを大いに披露していた。ベティはショートドレスとガーターベルトを身に付け、はっきり膨らんだ乳房とその谷間を持っていた。ベティ映画に登場する脇役たちは、何とかしてベティの下着を覗き見ようとする。『酋長の娘(原題:Betty Boop's Bamboo Isle)』では、ベティはレイと腰蓑だけの姿でフラを踊って見せる。
これらのセックスアピールぶりにも関わらず、制作者らはベティは無垢な少女として描くことを心掛けていた(公式設定によるベティの年齢は16歳である)。『曲馬団のベティ(原題:Boop-Oop-A-Doop)』において、曲馬団の団長により貞操の危機に晒された後に、ベティは助けに駆けつけた道化師ココに言う「あいつに、あたしの『ブプッ・ピ・ドゥップ』は渡さなかったわ!」。
ベティ・ブープ映画は、アップビートなジャズによるサウンドトラックによっても、同時代の作品から際立っていた。キャブ・キャロウェイによるサウンドトラックを備えた3本の作品に加えて、ルイ・アームストロング、ルディ・ヴァリー、ドン・レッドマンなどのジャズ楽団が、ベティ映画のゲストを務めている。エセル・マーマンは幾つかの短編にゲスト出演している。
ベティ映画の大人びた雰囲気は彼女をトップスターに押し上げ、ベティ関連商品は全世界で大きな売れ行きを示した。一方で、ベティのモデルとなった歌手ヘレン・ケーンは、彼女のトレードマークである外見やダンス、歌い方、キャッチフレーズ(「ブプッ・ピ・ドゥップ」)を剽窃したとして、1934年にフライシャー・スタジオへの訴訟を起こした。これに対し、フライシャーはケーン以前にも他の芸人により「ブプッ・ピ・ドゥップ」のフレーズが使われている事を証明し、ケーンは敗訴した上に彼女のキャッチフレーズを失う羽目になった。
1935年から1938年まで、キング・フィーチャーズ・シンジケートから漫画版ベティ・ブープが配信された。この漫画ではベティは映画女優であり、劇場で上映されたベティ映画は彼女の出演作品という設定になっている。
[編集] 飼いならされたベティ
最終的に、ベティの強調された性的魅力が彼女に破滅をもたらすことになった。1934年に開始された検閲制度であるヘイズ規制は、ベティにロングスカートと肩の露出を抑えた半袖の上着の着用を強制した。もはやベティはかつてのおてんば娘ではなく、愛犬パジーと暮らす「独身の専業主婦」であった。オットー・ソグロウの『リトル・キング』などの人気漫画のキャラクターと競演させることで、制作者らはベティの魅力を保とうとする努力を続けたが、それらの作品は大きな成功を収めたとは言えなかった(しかしながらそれらの競演作品の一つから、ポパイが新たなスターダムにのし上がった)。1939年8月11日に公開された『Yip Yip Yippy(日本未公開)』で、ベティの役者人生は一度は終りを告げた。
日本では日中戦争の激化により、1938年の『ベティの歌合戦(原題:Buzzy Boop At The Concert)』を最後に、ベティ映画の輸入は中断された。
[編集] 今日のベティ
U.M.&M.テレビと、後にはNTAの放送網により、1950年代にテレビを介して、ベティ・ブープは再び観衆の前に姿を現した。U.M.&M.とNTAはパラマウント映画のロゴを取り除くなどしてオープニングを改変したが、山並みが表示される箇所は、テレビ用のプリントでもU.M.&M.のコピーライトを付けて残しておいた。
1960年代のカウンターカルチャー運動でもベティは取り上げられた。NTAはベティ作品の権利を買い取り、「The Betty Boop Show」としてカラー化された作品を再放送した。韓国で行われたベティ映画のカラー化に際しては、フライシャー本来のフルアニメーションではなく、動作と作画を簡略化したリミテッドアニメーションが使用されたことから、後に『ポパイ』で同様のカラー化を行ったターナー・エンターテインメントの事例と、同様の論議が巻き起こった。また、韓国製のカラー版ベティ映画では、オリジナル版の実写パートや性的なシーンの多くがカットされている。
アイヴィー・フィルムによる『The Betty Boop Scandals of 1974』と題されたベティ短編の傑作集は、それなりの成功を収めた。1980年にはNTAから、別の短編集『Hurray for Betty Boop』が発売された。1980年代にベティ・ブープは市場から再発見され、現在では(初期のセクシーさを備えた)ベティのキャラクター商品が広く流通している。
1988年のアカデミー賞映画『ロジャー・ラビット』におけるカメオ出演で、ベティ・ブープは半世紀ぶりに銀幕への復帰を成し遂げた。この映画では、制作者によりベティのヌード姿が1フレームだけ加えられているという噂が流れた。仮にこの噂が事実であったとしても、現在のホームビデオ用の版ではそのフレームは差し替えられているようである。
『ベティ・ブープ』シリーズは時代を通じて好意的に評価され続けており、1933年の短編『ベティの白雪姫(原題:Snow White)』は、1994年にアメリカ議会図書館によりナショナル・フィルム・レジストリーに収録された。ベティ・ブープ本人の人気も今なお健在であり、漫画『ドゥーンズベリー』に登場するB.D.の妻ブープシーや、カートゥーンアニメ『Drawn Together』のトゥート・ブラウンスタインのようなキャラクターに広く影響を与えている。ブロードウェイでは、アンドリュー・リッパ作曲によるベティ・ブープのミュージカルの上演が予定されている。
ベティ・ブープ作品の幾つかはパブリックドメインになっており、インターネットアーカイブで閲覧可能である(外部リンク参照)。
[編集] 参考文献
- Solomon, Charles (1994): The History of Animation: Enchanted Drawings. Outlet Books Company.
- 筒井康隆 (1988年)『ベティ・ブープ伝 -女優としての象徴 象徴としての女優-』 中央公論社 ISBN 4-12-001683-8
[編集] 外部リンク
- インターネットアーカイブ“Betty Boop”検索結果 (英語)
- ベティ・ブープ公式サイト (英語)
- ベティ・ブープ・ファンサイト (英語)
- トゥーンペディア内ベティ・ブープ・ウェブサイト (英語)
- ベティ・ブープ・ワールフド・ファンサイト (英語)
- ベティ・ハウス(日本語) - ベティ・ブープのキャラクターグッズ専門店。日本で作られたキャラクターグッズを確認できる。
- ベティ・ブープ伝説(日本語) - ベティ・ブープの作品の紹介