ブルーノZB26軽機関銃
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正式名称 | ZB vz.26 | |
全長 | 113.0cm | |
銃身長 | 50.3cm | |
重量 | 55.500g | |
口径 | 7.92mm×57 | |
装弾数 | 20・30発(箱型弾倉) | |
発射速度 | 550発/分 | |
製造国 | チェコスロバキア | |
製造 | ブルーノ国営工場 他 |
ブルーノZB26軽機関銃は1926年にチェコスロバキアで開発された軽機関銃である。
目次 |
[編集] 開発経緯
第一次世界大戦ではこれまでの戦争と比べ、総合してとてつもない戦死者を出した戦争でもあった。その原因として戦線には兵器として毒ガス・軍用飛行機・戦車などが投入されたためで、その他にも軽機関銃の存在が上げられる。機関銃自体は第一次世界大戦以前から各戦争では使用され始めていたがその当時の機関銃は非常に重く、銃自身の重量がかるく60㎏は越える代物で、その為機関銃自体を分解しそれを兵隊が手分けして運ぶといった移動手段しか無かった。射撃の際も機関銃自体を地面に固定させることで射撃が可能となるため、機関銃は陣地守備など固定して使うには大変有効であったが攻撃時には大変不便であった。そのため各国の兵器メーカーでは前線兵士からの苦労経験から、兵隊が手に持ち運び、さらには一人で射撃が出来る軽い機関銃、後の軽機関銃や短機関銃の開発を盛んに行うようになった。そして第一次世界大戦では、特にドイツ軍は短機関銃を前線に投入し塹壕戦での有効性を示そうとしたが結局戦果は無かった。その後、西部戦線におけるドイツ軍の攻勢は失敗し帝政ドイツは1918年に降伏してしまう。
[編集] ブルーノZB26軽機関銃の登場
第一次世界大戦での戦訓から各国の軍隊では短機関銃は単純に機関銃自体を軽くした物、軽機関銃に対しても威力の弱い妥協の産物としか見なかった。しかし前線で戦ってきた兵士にとって機動性が高く射撃が即座に出来る軽機関銃を必要としていた。この事に各国の軍隊ではようやく軽機関銃の開発を始め、アメリカ軍のブローニングM1918A1 BARに始まり1922年には日本で十一年式軽機関銃、1920年代には旧ソ連でもDP28軽機関銃が制式化されるなど一気に軽機関銃の開発ブームが起こり始めた。ヨーロッパ・チェコスロバキアも例外ではなく軽機関銃の生産を盛んに行った。開発の背景には元々チェコスロバキア自体が工業先進国で旧オーストリア・ハンガリー帝国から独立したばかりであったため他国に対し国防を目的とした事、大量生産した機関銃を輸出することにより海外から外貨の獲得を目的とした事があげられる。チェコ製軽機関銃は1926年に入りブルーノ社の銃技師であったホレックにより設計されブルーノZB26軽機関銃としてチェコスロバキア陸軍に正式採用された。
主な特徴は銃自体の重量が約8.9kgと他国の軽機関銃と比べると若干軽いのが分かる。機関部装填方式にガス圧式を採用し、弾薬にはライフル弾(7.92mm×57弾)を使用し銃身には交換用の銃把が装着されていて過熱した銃身の交換を容易に行うことが出来た。また銃身自体も300発ほどなら無交換で使用できた。そしてZB26軽機関銃の最大の特徴として「壊れにくい」と言う点であった。他国の機関銃と比べZB26軽機関銃の機関部などの故障の少なさは当時驚くものであった。輸出先の国々でも命中精度も高く、価格も安いZB26軽機関銃を非常に認知されるようになった。
[編集] ZB26軽機関銃のバリエーション
- ZB26・・・ZBシリーズの初期生産型。故障が少なく他国に大量に輸出された
- ZB27・・・ZB26改良型。バレル、ボルト機構の単純化及びガス圧システムを改良したもの
- ZB30・・・海外輸出向けZB機関銃。バレルを短縮化し、ガスパイプを備えた
- MP146(i)・・・ドイツ軍のチェコスロバキア占領の際に鹵獲されたZB機関銃のドイツ側呼称
この他にもZB26軽機関銃の優秀性から独自にライセンス生産を行った国も多い。(中華民国やイギリスのブレン軽機関銃など)
[編集] その後
1926年から生産されたZB26軽機関銃はその後順調に他国への輸出を伸ばし、輸出先の国々で高評価を得た。第二次世界大戦ではナチス・ドイツにチェコスロバキアが占領されるとMG34の供給不足からドイツ軍でもZB26軽機関銃は限定的に使用されている。
一方アジア方面にも輸出され、特に中華民国に大量輸出されたZB26や改良型ZB30軽機関銃は対日戦線で使用され、その後国産まで行われた。中華民国製のZB26は日中戦争で使用され、弾薬も日本軍の一一年式軽機関銃が6.5mm×50弾であるのに対しZB26は威力や射程で勝る7.92mm×57弾を使用しており大戦果をあげている。日本軍からはZB26を「チェッコ機銃」と呼ばれ、その後戦線を広げた日本軍は中国国内のZB26軽機関銃を製造していた工場を占領(太沽造兵廠など)、大量の7.92mm×57弾とZB26を捕獲する。当時ドイツのMG15機関銃の国産化に成功し、航空機用の九八式旋回機関銃として運用していた日本軍は、この弾薬をそのまま使用することができた。(このためか、MG15の日本海軍型である一式旋回機銃も搭乗員によってチェコ機銃と呼ばれている。)鹵獲したZB26を参考に、一一式軽機関銃の後継銃である九六式軽機関銃を後に開発している。
第二次世界大戦後、ZB26軽機関銃は国共内戦でも大量に使用され、ベトナム軍にも供給されている。その後東側諸国の兵器がソ連製の物になると部品や弾も供給されないZB26軽機関銃は少しずつ姿を消していった。一方イギリスのブレン軽機関銃は使用弾薬をブリティッシュ.303からNATO弾に変更し、1980年まで使用された。