フレゼリク8世 (デンマーク王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フレゼリク8世(Frederik VIII, 1843年6月3日 - 1912年5月14日)は、デンマーク王(在位:1906年 - 1912年)。
クリスチャン9世(当時はグリュックスブルク公)と、ヘッセン=カッセル方伯家出身でフレゼリク7世の孫に当たるルイーズ(後の王妃)の長男としてコペンハーゲンに生まれる。彼が生まれた当時、王位継承者として注目もされていなかった両親は、コペンハーゲン市中の館でフレゼリクを初めとする子女たちを生み育てた。
王太子として1864年のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に形式的に関わり、その後父王の統治をよく助けた。父王の死に伴い王位を継承。スウェーデン王カール15世の娘ロヴィサ王女(1851年10月31日 - 1926年3月20日)と1869年7月28日に結婚している。4男4女がいる。
- 王太子クリスチャン(1870年-1947年) 次代デンマーク国王クリスチャン10世 1898年メクレンブルク=シュヴェーリン公女アレクサンドリーネと結婚。
- 王子カール(1872年-1957年) ノルウェー国王ホーコン7世(1905年即位) 1896年イギリス王女モードと結婚。
- 王女ルイーズ(1875年-1906年) 1896年シャウムブルク=リッペ公フリードリヒと結婚。
- 王子ハラール(1876年-1949年) 1909年同族グリュックスブルク家のヘレナ公女と結婚。
- 王女インゲボー(1878年-1958年) 1897年スウェーデン=ノルウェーのヴェステルイェートランド公カールと結婚。
- 王女ティラ (1880年-1945年)
- 王子グスタフ (1887年-1944年)
- 王女ダグマール (1890年-1961年) ユルゲン・カルステンスキオルトと結婚。
フレゼリク8世は多くの点で父王以上に議会主義体制に好意的な自由主義的統治者であった。大変遅い即位ゆえに、わずかな期間しか能力を発揮することしかできなかったし、病気が彼を弱らせていた。フランスへの旅行からの帰途、フレゼリクはドイツのハンブルクに立ち寄った。到着の夕刻、フレゼリク はお忍びで「ユングフェルンスティーク(the Jungfernstieg)」を散歩した。散歩の途中、彼は気を失い、公園のベンチに倒れて死亡した。警官によって発見され、ハーフェン病院に搬送され、死亡が宣告された。死因は心臓麻痺(paralysis-attack)と公表されている。他の王族と同様にコペンハーゲン近郊のロスキルデ大聖堂に埋葬された。
デンマーク、ノルウェー、ベルギー王家およびルクセンブルク大公家はフレゼリク8世の血筋である。デンマークは当然ながら、ノルウェー王家は息子のカール王子を経たものであり、ベルギー王家およびルクセンブルク大公家は娘のインゲボー王女の血筋を引くものである。
カテゴリ: デンマークの君主 | グリュックスブルク家 | 1843年生 | 1912年没