フジ子・ヘミング
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フジ子・へミング(本名 Ingrid Fujiko V. Georgii-Hemming :イングリッド・フジ子・V・イェオリ=ヘミング)は、ピアニストである。ロシア系スウェーデン人建築家のヨースタ・イェオリ=へミングと、日本人ピアニストの大月投網子の間にベルリンで生れる。無国籍*。俳優大月ウルフは実弟。
※本来はスウェーデン籍だが、18歳までに一度も入国した経験がなかったため国籍を抹消された。当時日本は父系血統主義を採っており、日本国籍も取れなかった。
「リストとショパンを弾くために生まれたピアニスト」「リストの申し子」と評される通り、リストやショパンを得意とする。なお、本人が最も得意とする曲の1つが、リストの「ラ・カンパネッラ」である。「一つ一つの音に色をつけて弾いている」と話すように、譜面に忠実でないフジ子独特のリズムで演奏している。
5歳の時に日本に渡航、並びにピアノを始める。青山学院高等部を経て東京芸術大学卒業後、ピアニストとして音楽活動を行っていたが、29歳の時に赤十字の認める難民として(無国籍の為旅券を取れない)ベルリン音楽学校へ留学する。留学後もヨーロッパに残り、各地で音楽活動をするも風邪が原因で聴力を失う。現在は左耳のみが多少(約40%)回復している。1995年に日本に帰国し、日本国内での音楽活動を再開。
1999年2月11日にNHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』が放映され、大反響を巻き起こし、フジ子ブームが起こった。彼女のCDは日本で大ヒットになった。
猫とタバコが好きで、普段は膝の上に猫を乗せ、タバコを吸いながらピアノを弾いている。
演奏の際は常に母から贈られた時計を身につけている。