フィル・ヒル
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F1での経歴 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
活動年数 | 1958 - 1964 , 1966 |
所属チーム | マセラティ, フェラーリ, クーパー, ポルシェ, ATS, ロータス, イーグル |
出走回数 | 47 |
タイトル | 1 (1961) |
優勝回数 | 3 |
通算獲得ポイント | 98 |
表彰台(3位以内)回数 | 16 |
ポールポジション | 6 |
ファステストラップ | 6 |
F1デビュー戦 | 1958年フランスGP |
初勝利 | 1960年イタリアGP |
最終勝利 | 1961年イタリアGP |
最終戦 | 1964年メキシコGP |
フィル・ヒル(Philip Toll Hill Jr., 1927年4月20日 - )は、アメリカのレーシングカー・ドライバーで、1961年のF1ワールドチャンピオンである。
目次 |
[編集] 概要
F1ではチャンピオンに輝いたにも関わらず、通算で僅か3勝しかしておらず、チャンピオンとしてはマイク・ホーソンと並ぶ少なさである。
彼がレーサーとして本当に活躍したのはむしろスポーツカー・レースとも言われ、ル・マン24時間レースで3勝(1958年、1961年、1962年)、セブリング12時間レースで3勝(1958年、1959年、1961年)を挙げている。
同時期にF1に参戦していた、グラハム・ヒルとの血縁関係はないが、同姓ということで親交はあり、グラハムの息子デーモン・ヒルは幼い頃フィル・ヒルに可愛がってもらっていたという。
[編集] F1チャンピオンへの流れ
チャンピオンとなった1961年は完全にフェラーリの年だった。チャンピオン争いはヒルと、チームメイトのウォルフガング・フォン・トリップスに絞られていたが、第6戦ドイツGP終了時ではフォン・トリップスが4ポイントリードしていた。
しかし続く第7戦イタリアGPで、フォン・トリップスは悲惨な事故を起こすこととなる。ポールポジションからスタートした彼は、ジム・クラークとのデットヒートの末接触事故を起こし、マシンごと観客席に飛び込んでいった。飛び込んだマシンやパーツによって14人の観客が命を落とし、彼もまた即死した。
ヒルはこのレースで優勝してランキングトップとなり、ランキング2位のフォン・トリップス死亡によって、その場でチャンピオンが決定した。だが、レース終了後に初めて僚友の死を聞かされたヒルは、表彰台で人目も気にせず号泣していたと言う。その後はパッとした成績を残せず、フェラーリのお家騒動に嫌気がさしたこともあって、1964年にF1から引退。
その後はスポーツカー・レースのみに参戦を続けた。