パルヴェーズ・ムシャラフ
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2006年2月13日、ホワイトハウスで |
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パキスタン・イスラム共和国 第12代大統領 | |
任期: | 2001年6月20日 – 現職 |
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出生日: | 1943年8月11日 |
生地: | インド デリー |
配偶者: | [[]] |
政党: |
パルヴェーズ・ムシャラフ(ウルドゥー語 : پرویز مشرف, 英語表記 : Pervez Musharraf, 1943年8月11日 - )は、パキスタンの軍人、政治家。パキスタン陸軍参謀総長兼統合参謀本部議長在任中の1999年10月に敢行されたクーデターの指導者となり、首相に相当する行政長官に就任。のちパキスタン大統領(2001年6月20日 - )。
親米派として知られる。クーデターで実権を握ったが、腐敗した当時の政権に嫌気がさしていた国民には支持されている。
2002年3月に来日している。
[編集] 生い立ち
ムシャラフはインドのオールド・デリー、ダリヤーガンジで生まれたが、1947年のインドからの独立で両親と共にパーキスターンのカラーチーへ転居した。両親は共に大学で教育を受け、母親は英文学を専攻した。彼女は国際労働機関(ILO)に勤務し、1986年に退職した。父親はインドのアリーガル大学を卒業した後パキスターン外務省に勤務し、外務大臣に就任した。
ムシャラフはカラーチーの聖パトリック高校を卒業し、ラーホールのフォアマン・クリスチャン・カレッジで学んだ。彼はクエッタの幕僚養成校とパーキスターン国立防衛大学を卒業した後、イギリスの王立防衛大学で学んだ。教官は彼を「有能で自己の意見をはっきり言える将校である。本校で価値のある印象を創り上げた。彼の祖国は有能な軍人を得て幸運である。」と評価した。
[編集] 軍歴
1961年に彼はカクルのパキスタン陸軍士官学校に加わり、1964年に砲兵連隊に配属された。1965年の第二次印パ戦争では青年将校として従軍し、Imtiazi Sanad勲章を受章した。1967年に彼は大尉に昇進する。クエッタの幕僚養成校とパキスタン国立防衛大学で学んだ後、コマンド部隊を志願し特殊部隊で七年間勤務した。1971年の第三次印パ戦争ではコマンド連隊の中隊長として従軍する。彼は砲兵部隊および装甲師団の指揮権を持ち、1991年1月15日に少将に昇進すると歩兵師団の指揮権を、1995年10月21日に中将に昇進すると攻撃軍団の指揮権を与えられた。
ムシャラフはその経歴に於いて様々な重要職を歴任した。さらに彼は1993年から1995年まで陸軍最高司令部長官であった。彼は1998年10月7日にパキスタン陸軍長官ジャハーンギール・カラーマト将軍が辞任を強要されたとき、陸軍参謀総長に指名された。彼は1999年4月9日に統合参謀本部委員会議長の職を追加して与えられた。
ムシャラフは1999年10月12日に無血クーデターを行い、ナワーズ・シャリーフ首相を自宅監禁した。その後彼は国会および州議会を解散した。彼は2001年6月20日に正式に大統領に就任した。
[編集] 外部リンク
- Official presidential website
- Government of Pakistan website
- The Constitution of the Islamic Republic of Pakistan
- Biography on storyofpakistan.com
- Time Magazine Cover Story on Musharraf
- Profile dated September 24, 2001 on BBC
- President Musharraf Biography dated December 25, 2003 on BBC
- A Plea for Enlightened Moderation, by Pervez Musharraf - Washington Post opinion piece
- "Transcript of interview with His Excellency President Pervez Musharraf" - telegraph.co.uk, June 20, 2004
前任: ムハンマド・ラフィーク・タラル |
パキスタンの大統領 2001 - |
後任: |