パベル・ジェハーク
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パベル・ジェハーク(Pavel Řehák、1963年10月7日 - )は、チェコ出身のサッカー選手・監督。
現役時代は母国のスラビア・プラハでプレーした後に来日し、東日本JR古河~ジェフ市原(JSL~Jリーグ)、東芝サッカー部~コンサドーレ札幌(旧JFL)、横浜FC(新JFL)に在籍した。
現役時代はFWとして活躍。古河ではクラブ史上初の外国人選手であった。Jリーグ開幕後、レッドカードを提示された選手の第一号でもある。
引退後は古巣のスラビア・プラハでユース監督やコーチを務め、2004年からはヴィッセル神戸のコーチに就任した。その後、2005年に当初監督を務めた松永英機が解任されたのを受けて現場から離れたが、松永の後任のエメルソン・レオンもわずか2ヶ月で解任された後現場に復帰。同時に監督に就任した。
しかし、三浦淳宏や播戸竜二など主力に故障者が続出したチームは低迷。パベルは主将の三浦知良(カズ)をスタメンから外し、さらに選手間の投票によって主将から外す(後任は三浦淳)などしたが一向にチーム状況は上向かなかった。その後、カズは7月に横浜FCに完全移籍した。 結局、チームは31節の大宮アルディージャ戦に敗れてJ2に降格。シーズン終了後に退任した。
[編集] 所属クラブ
[編集] 選手
- スラビア・プラハ〔チェコ〕
- 東日本JR古河SC〔日本〕(1991年/1992年)
- ジェフユナイテッド市原〔日本〕(1992年-1994年)
- 東芝〔日本〕(1995年)
- コンサドーレ札幌〔日本〕(1996年)
- スラビア・プラハ〔チェコ〕(1997年/1998年)
- 横浜FC〔日本〕(1999年)
[編集] 指導者
- スラビア・プラハ〔チェコ〕(2000年-2003年。コーチ)
- ヴィッセル神戸〔日本〕(2004年-2005年。コーチ)
- ヴィッセル神戸〔日本〕(2005年5月。育成部コーディネイター)
- ヴィッセル神戸〔日本〕(2005年6月。監督)
- ヴィッセル神戸監督
- 2005途中
-
- 先代:
- エメルソン・レオン
- 次代:
- スチュワート・バクスター
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