バーラクザイ朝
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バーラクザイ朝は、19世紀中盤から1973年までアフガニスタンに存在した王朝。首都はカブール。
1826年、ドゥッラーニー部族連合バーラグザイ部族の長ムハメッド・アジムの弟、ドースト・ムハンマド・ハーンがドゥッラーニー朝から独立してハン国を建国。1835年には国王の称号をアミールに変え、アフガニスタン首長国となった。
対外的には、ロシアとイギリスの対立を利用しつつ、3度に渡るイギリスの侵略を退け、独立を確保し、現在の国境線を画定した。また、このアフガン戦争中、外敵に対しては一致団結して戦い、アフガン人としての意識も芽生え始めた。
第3次アフガン戦争でイギリス軍を退けたアマーヌッラー・ハーンは、急進的な改革を進め、1926年には国王の称号をシャーに変え、アフガニスタン王国となった。急激な改革は、聖職者階級の反発をまねき、各地に僭称者が乱立することとなった。
1929年、ムハンマド・ナーディル・シャーがこの混乱を収め、翌年、シャーに即位した。このナーディル・シャーと息子のザーヒル・シャーの2代を区別して、ナーディル・シャー朝と呼ぶこともある。
ナーディル・シャー朝では、聖職者階級との妥協が図られ、パシュトゥーン人色が強まった。しかしながら、このような態度は、急進改革派の不満をまねき、1973年、ザーヒル・シャーの従兄弟、ムハンマド・ダーウードがクーデターを起こし、王政を廃止した。
最後の国王ザーヒル・シャーは、アフガン国民統合の象徴として、現在も尊敬の念をもたれている。
[編集] 歴代国王
アミール・アル=ムウミニーン(信徒たちの長)
- ドースト・ムハンマド・ハーン(1835年 - 1863年)
- シール・アリー・ハーン(1863年 - 1879年)
- アブドゥッラフマーン・ハーン(1880年 - 1901年)
- ハビブッラー・ハーン(1901年 - 1919年)
- ナスルッラー・ハーン(1919年)
- アマーヌッラー・ハーン(1919年 - 1926年称号変更)
国王(シャー)
- アマーヌッラー・シャー(1926年 - 1929年)
- イナーヤトゥッラー・シャー(1929年)
- ムハンマド・ナーディル・シャー(1929年 - 1933年)
- ムハンマド・ザーヒル・シャー(1933年 - 1973年)