ドゥッラーニー朝
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ドゥッラーニー朝は18世紀にアフガニスタンに存在した王朝。首都はカンダハール。サドザーイー朝とも言う。またドゥッラーニー部族連合による王朝という意味では、続くバーラクザーイー朝もあわせてドゥッラーニー朝ということもある。したがって1747年から1973年までの王朝について「ドウッラーニー朝+バーラクザーイー朝」、「ドウッラーニー朝(サドザーイー朝)+ドウッラーニー朝(バーラクザーイー朝)」、「サドザーイー朝+バーラクザーイー朝」という三つの名称が鼎立している状況であり、注意が必要である。
1747年にイラン系遊牧民パシュトゥン人がアフシャール朝から独立して建国。清がジュンガル部を完全に制圧すると中国と国境を接するようになり、清の皇帝から朝貢を要求される。以後清の朝貢国となる。またこの時代はインド征服も盛んに行い、弱体化したムガル帝国にも何度も侵攻し、一時期デリーを領有した。
外交面では好戦的な一面も見せたが、周辺の遊牧国家とは親善を図った。
1842年に王家が分裂し分家が本家を滅ぼす形で王朝が交代し、バーラクザーイー朝が創始される。
[編集] 歴代のシャー
- アフマド・シャー・アブダーリー(1747年 - 1773年)
- ティムール・シャー(1773年 - 1793年)
- ザマン・シャー(1793年 - 1801年)
- マフムード・シャー(1801年 - 1803年、1809年 - 1818年)
- シュジャー・ウリ=モルク(1803年 - 1809年)
- スルタン・アリー・シャー(1818年 - 1819年)
- アイユーブ・ハーン(1819年 - 1823年)
1819年以降は、事実上、カーブルのみの支配者。