ノルマンディー公
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ノルマンディー公は、フランスのノルマンディー地方を領有していた君主の称号。
ノルマン人(ヴァイキング)の一部族の首領であったロロは、しばしば北フランスに侵入し沿岸部を荒らし回った。885年パリを包囲された西フランク王国のシャルル3世は、911年、キリスト教に改宗したロロ(改名してロベール1世)にノルマンディー地方を与えてノルマンディー公として封じた。以後、ノルマンディー公は勢力を得て、1066年、ギヨーム2世のときイングランドに侵入しこれを征服した。ギヨーム2世によるイングランド征服をノルマン・コンクエストと呼び、これによってノルマン朝が成立した。
以降ノルマンディーとイギリスとを統治するようになったのだが、百年戦争でフランスがこれを奪回、ノルマン地方の領地を失った。ただしチャネル諸島ではイングランド王ではなく「ノルマンディー公」の称号がその後も用いられている。
フランスが奪回してのち、ノルマンディーはしばしば親王宰地となっている。
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[編集] 歴代ノルマンディー公
年数は在位年。確定できないものは、"/"(スラッシュ)で併記。
[編集] ノルマンディー家
「ノルマンディー公」の称号を正式に使うのは、リシャール1世の代以降。ノルマンディー家は、7代目のギヨーム2世のときに、イングランドを征服し、ノルマン朝を開く。
- ロロ(ロベール1世*1)「徒歩公」 : 911年-925/927年
- ギヨーム1世「長剣公」 : 925/927年-942年
- リシャール1世「無怖公」 : 942/943年-996年
- リシャール2世「善良公」 : 996年-1026年
- リシャール3世 : 1026年-1027年
- ロベール1世(ロベール2世*1)「華麗公」「悪魔公」 : 1027/1028年-1035年
- ギヨーム2世「庶子公」「征服公」: 1035年-1087年
- ロベール2世(ロベール3世*1)「短袴公」 : 1087年-1105/1106年
- アンリ1世「碩学公」 : 1105/1106年-1135年
注1: 初代のロロは、ノルマンディーの領主となった後、ロベールに改名しているため、これをロベール1世と呼ぶ場合もある。この場合、同名の子孫の2人は、それぞれ2世、3世に数字が繰り下がる。
[編集] ブロワ家
[編集] アンジュー家
ノルマンディー家のアンリ1世(イングランド王ヘンリー1世)の娘、マティルダは、アンジュー伯家(プランタジネット家)のジョフロワと再婚し、エティエンヌ(スティーブン)とイングランド王位、ノルマンディー公位を争う。
- ジョフロワ「美男公」 : 1144年-1150年
- アンリ2世 : 1150年-1189年
- リシャール4世 : 1189年-1199年
- ジャン : 1199年-1216年
- アンリ3世 : 1216年-1259年
[編集] ヴァロワ家
[編集] ランカスター家
1417年、イングランド王ヘンリー5世がノルマンディーを支配下に置き、その領有を1420年のトロワ条約でフランスに承諾させる。しかし、1450年、イングランド王ヘンリー6世は、フランス王シャルル7世にフォルミニーの戦いで敗れ、ノルマンディーを失う。
[編集] ヴァロワ家
- シャルル2世 : 1465年-1469年
- フランス王シャルル7世の末子。1469年に兄ルイ11世により、ギュイエンヌに転封。
[編集] ブルボン家
- ルイ : 1785年-1789年
- フランス王ルイ16世の子。1789年にフランス王太子。