トンプソンM1短機関銃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||
正式名称 | トンプソンM1短機関銃(M1A1) | |
全長 | 813mm | |
銃身長 | 267mm | |
重量 | 4.74kg | |
口径 | 11.43mm×23 | |
装弾数 | 20・30発(箱型弾倉)50発(ドラム弾倉) | |
発射速度 | 約700発/分 | |
製造国 | アメリカ | |
製造 | サベージアームズ社 |
トンプソンM1短機関銃は、1941年にアメリカで開発された短機関銃である。愛称はトミーガン。
目次 |
[編集] 開発経緯
アメリカ合衆国における短機関銃の開発は当時、他国に比べると早い方である。原型は1910年代後半にアメリカの銃技師、ジョン・トンプソンにより最初の短機関銃の原型タイプが作成された。試験的に作成されたこの原型モデルの給弾方式は最初、ベルト給弾式であった。しかし機関部への異物の混入など不具合が多発し、ベルト給弾方式は早々に変更が加えられた。1919年に入りジョン・トンプソンはベルト式を箱型弾倉に改め開発し直したトンプソンM1928短機関銃を開発し、アメリカ陸軍に売り込みを行った。しかし当時のアメリカ軍内では機関銃の威力をさげた短機関銃をあまり重要視せず、また量産性に難があったため大量配備には向かないと判断、試験的に約400丁あまりが購入されただけに終わった。
その分、民間用に市販されたM1928は販売に成功したといえる。銃身にフォアグリップが装着され安定した連射が可能になり、弾倉には箱形弾倉のほかに50発用のドラム弾倉も装着が可能であったこのモデルは、主に地元警察やFBI、沿岸警備隊にも販売された。またアメリカギャングの間でも販売され、ギャング同士の抗争ではドラム弾倉を装填したM1928が頻繁に使用された。その為、トンプソンM1928短機関銃には「市街戦のギャングの銃」という不名誉な俗称が付いてしまった。その独特の発射音から「シカゴ・タイプライター」(または「シカゴ・ピアノ」)の異名も持つ。
[編集] トンプソンM1短機関銃の登場
アメリカ陸軍で再び短機関銃について注目されるのは第二次世界大戦の初期に至る。当時敵国であったドイツ軍は第一次世界大戦やスペイン内戦において短機関銃の有効性を熟知していたため、開戦当初からMP38やMP40短機関銃を大量に装備していた。それに対し有効な短機関銃を保持していなかったアメリカ陸軍はヨーロッパ戦線で、とくに市街戦では苦戦を強いられることとなった。焦りをみせた陸軍は急遽、短機関銃の生産をトンプソン社に求めた。それまで市販されていたトンプソンM1928短機関銃は構造上、大量生産に向かなかったことから、ジョン・トンプソンは以前からM1928を徹底的に簡略化したモデルの開発を進めていた。そのため新型短機関銃の開発は比較的早く行うことができ、その後サベージアームズ社との提携の後に、1941年にトンプソンM1短機関銃の名称で制式採用となった。トンプソンM1短機関銃は主に下士官に対して供給され、機関部などの構造についてはM1928と変更は無かったが、その他あらゆる所が単純化され大量生産に向いた作りになっている。
[編集] トンプソンM1928短機関銃との変更点
- ディレイド・ブローバック機構は排除され、単純化したストレートブローバック式に変更された。
- 工数削減の目的から銃身基部に装着されていた放熱フィンと垂直式グリップ(銃把)の廃止
- コンペンセイター及びレシーバー(機関部外側)の簡略化
- 機関部を直接ネジ止め方式に変更、それによる弾倉や弾倉受けの簡素化、セレクターも同様に簡素化
その他にもコッキングハンドルを上面から右側面にずらし、M1928短機関銃と同じ50連発のドラム弾倉も使用することが出来た。ドラム弾倉に至っては扱いが難しく野戦向きではなかったため、前線で戦う兵士のほとんどが箱型弾倉を使用した。ただ装弾数の多さからドラム弾倉を使用した後に箱型弾倉を使用するといった方法も用いられている。
[編集] トンプソンM1短機関銃、その後
あらゆる所が簡素化され大量生産が可能となったトンプソンM1短機関銃であったが、他の銃器に比べて生産が難しいことには変わりは無く、課題も多かった。1941年の日本軍による真珠湾攻撃から連合軍として参戦したアメリカ軍では短機関銃の需要も急速に増加した。しかし上記の生産性の問題で参戦当初はトンプソンM1短機関銃の供給が追いつかず、軍は不足分を他の短機関銃で間に合わせる結果となった。(レイジングM50/55短機関銃)
大戦も中期に入りトンプソンM1短機関銃の生産が需要に追いつくようになると撃針とボルトを固定し、ボルトが前進しきったときに発射されるように改良したトンプソンM1A1短機関銃を開発している。M1A1は大戦を通しアメリカ陸軍ではもっとも多く使用された。M1928に比べて多少重いという欠点を除けば耐久性、信頼性共に優れ実に撃ちやすい短機関銃であった。後に開発者であるジョン・トンプソンにちなんで「トミーガン」の愛称で呼ばれるようになり、供給先に至ってはイギリス軍や友好国であった中華民国軍にも供給されている。また中華民国軍から鹵獲された本銃が日本軍でも使用された例もあり、大戦後に中国共産党によりトンプソンM1短機関銃のコピーも生産されている。
戦後も朝鮮戦争やベトナム戦争の初期までトンプソンM1短機関銃は使用され、その後フルオート射撃が可能となったライフルが生産されるようになると、威力が弱く命中率もフルオートライフルに比べて劣る短機関銃は次第に陸軍での使用目的が無くなっていった。そのためアメリカ陸軍では次第に姿を消すこととなったが、大戦を通しての活躍から戦後も大変有名となった短機関銃と言える。
アメリカ軍以外でも、政府機関により、1976年に制式廃止が決定されるまで使われ続けた。
[編集] 関連する派生型
[編集] M1921
ジョン・トンプソンの設計により、コルト社が15,000丁を生産した最初の量産品で、スポーツ用銃として市販された。このモデルから既に生産コストが安いことが特徴で、当時の価格は225ドルであった。木製部品の仕上げは高級で、機構品も工作精度が高かった。
[編集] M1923
他のモデルと違い、.45 ACP弾ではなく、.45 レミントン弾を使用し、より強力にしたモデル。
[編集] M1927
M1921のセミオートマチック専用版。
[編集] M1928
警察やギャングが携帯し、映画などにも頻繁に登場する、アメリカ市民には最も有名なサブマシンガンである。前述の通り、警察やFBI、沿岸警備隊に、また米海軍、海兵隊にも1930年代を通して採用された。第二次世界大戦の初期には、製造業者が破産しないために、イギリス軍やフランス軍向けに大量に納入された。このタイプの稼働品は、現在においても2万ドル前後で取り引きされている。
[編集] M1928A1
このタイプは真珠湾攻撃まで量産された。M1928よりも早く、安く作れるよう改良されている。主に、垂直式グリップの位置が変更され、軍用スリングが付けられるよう改良された。アメリカのすべての軍でレンド・リース方式で使用する契約がなされ、二つの工場が第二次世界大戦初期、すなわちM1短機関銃が登場するまで製造を続けた。特に海兵隊においては、太平洋戦線の部隊において大量に使用された。また、50発ないし100発のドラム式マガジン、18発・20発・30発の箱型マガジンが製造されたが、ドラムマガジンは伏射の際にジャミング(弾詰まり)を起こすことがあった。発射速度は毎分800発。命中精度は決して良くなく、主に近距離戦で使用された。
[編集] M1
本稿の主題で解説している通り、第二次世界大戦で下士官に支給するために大量生産された。M1928A1をさらに大量生産向けに改良したものである。
[編集] M1A1
M1をさらに改良したもので、前述の通り機関部に改良が加えられた。また、固定式で穴だけが開けられていた後部照準を可動式とし、上下左右に調整できるように改良された。
[編集] 登場作品
第2次世界大戦もの(陸軍もの)やギャングものによく登場する。
[編集] テレビ映画
- 『コンバット!』
- ビック・モロー扮するサンダース軍曹がいつも抱えていて彼のトレードマークになっていた。
[編集] 小説
- スティーヴン・ハンター『悪徳の都』
- 主人公のアール・スワガーと武装強盗団の首領S
[編集] ゲーム
カプコン「バイオハザード4」
シカゴタイプライターの名で出現する。威力10.0。弾数無限。連射速度秒間0.10秒。マグナム並みの威力を誇る。
出現方法・・・「エイダ・ザ・スパイ」をクリアする。2周目以降武器商人が仕入れる。値段1000000PTS。
メダルオブオナーシリーズ