デヴィッド・カヴァーディル
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デヴィッド・カヴァーディル (David Coverdale, 1951年9月22日 - ) は、イギリス出身のロック・ヴォーカリスト。
[編集] 略歴
イングランド中部のヨークシャーで生まれる。少年時代からロックンロールに関心を持った彼は1969年にザ・ガヴァメントというセミプロバンドを結成する。ザ・ガヴァメントはディープ・パープルの前座を務めたりしたがその後グループは解散しブティックなどの店員をしながらも彼は音楽活動を続けていた。
1973年、ディープ・パープルのヴォーカリスト募集の広告にたまたま応募しオーディションを受けることになる。彼はビートルズのイエスタデイを見事に歌い上げ合格する。そしてイアン・ギランに続くディープ・パープル3人目のヴォーカリストとしてデビューを果たした。
その後、ディープ・パープルの状況に絶望を感じた彼は1976年に同グループを脱退し1977年にホワイトスネイクを結成。翌年にはキーボーディストとして元ディープ・パープルのジョン・ロードもグループに参加。そして1980年には同じく元ディープ・パープルのイアン・ペイスもドラマーとして加入しバンドのパワーを向上させた。ホワイトスネイクはまず本国イギリスと日本で火が付いた。そして1987年に発表されたアルバム「ホワイトスネイク」がアメリカで大ヒットし名実ともにスーパーグループとなった。
その後1993年に彼は元レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジと共に、カヴァーディル・ペイジとしてアルバムを発表、大きな話題を呼んだ。
2002年12月には再結成ホワイトスネイクとしてアメリカおよびヨーロッパ・ツアーを行った。
[編集] こぼれ話
デヴィッド・カヴァーディルがディープ・パープル加入に際し、ダイエットし美容整形を受ける事を条件にされた事は有名な話である。今でこそ男の色気を漂わす(かつてはセックスシンボルとも称された)イングリッシュメンだが、ディープ・パープル加入前は太っており、ニキビ面で服のセンスも最悪といった具合であった(「カリフォルニア・ジャム」の映像を見ても他のメンバーに比べて余りにも垢抜けない様が見て取れる)。リッチー・ブラックモアはデヴィッドの声を気に入っていたものの、前任者のイアン・ギランがハンサムだった事もあり、これには頭を抱えた様である。一説によると専門の医療チームが結成され、覚せい剤まで処方されたと言われるが、真偽のほどは不明。美容整形はこれ以降も何回か行っているようで、WHITESNAKE時代の宣材写真を見ると頬の辺りが微妙に変わっている事が分かる。本人はこの事実(美容整形)を隠しておらず公にしている。