ディファカップ
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ディファカップは、東京有明にある格闘技専用アリーナ・ディファ有明で行われるジュニアヘビー級プロレスラータッグチームによるプロレストーナメント。
第一回大会は2003年2月8日・9日に、第二回は2005年5月7日・8日にそれぞれ行われている。第一回ではプロレスリング・ノア、ZERO-ONE、闘龍門、WEW、IWAジャパンの5団体共催という形で行われた。第二回はNOAHとZERO1-MAXの運営会社であるファーストオンステージの2社共催という形になっている。尚、第二回の大会実行委員長はZERO1-MAXのリングアナであるオッキー沖田が務めた。
優勝賞金は100万円。ジュニアヘビー級タッグの最高峰を決める大会である。第二回大会はNOAHとZERO1-MAXの共催となっており、実行委員長も沖田であるが、第一回・第二回共々NOAHの事務所があるディファ有明で、NOAHのマットを使って行っており、NOAHの中継権を持つ日本テレビで試合の模様を放送されるという、非常にNOAHの色が強い大会となっている。
第一回大会は5団体共催で行われ、メジャー・インディ問わず各団体のジュニア選手が出場した。また、第二回大会ではDDT、KAIENTAI-DOJOなどのインディ団体からも選手が出場し、メジャー・インディ問わず様々な団体から選手が出場する、異色の大会となっている。
レフェリーは主催団体から出ているが、第二回の決勝戦では和田京平が務めた。
第二回大会で優勝した丸藤正道・KENTA組は、優勝賞金100万円の小切手を受け取る際、KENTAが大会実行委員長である沖田に「オッキー、お前が責任を持って星川選手に渡しな」と発言。試合中のアクシデントで長期離脱中のZERO1-MAX・星川尚浩へ送るという意味であり、沖田は号泣した。
また、大阪プロレスを退団後、権利上の問題からえべっさんの名が使えなくなった(現・菊タロー)が第二回大会にて「えべ太郎」として凱旋試合を行った。
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[編集] 第一回大会概要
[編集] 出場選手
- ウルティモ・ドラゴン、YOSSINO (闘龍門JAPAN)※優勝
- 高岩竜一、佐々木義人 (ZERO-ONE)※準優勝
- KENTA、鈴木鼓太郎 (NOAH)※3位
- MIKAMI、KUDO(DDT)
- 黒田哲広、チョコボール向井 (WEW)
- 折原昌夫、日高郁人 (FECプロレス)
- ザ・グレート・タケル、河童小僧 (IWAジャパン)
- 葛西純、愚乱・浪花 (フリー)
[編集] 第二回大会概要
[編集] 出場選手
- 丸藤正道、KENTA (NOAH)※優勝
- 日高郁人、藤田ミノル (ZERO1-MAX)※準優勝
- カズ・ハヤシ、レオナルド・スパンキー (ハッスル)※3位
- タイガー・エンペラー(NOAH)、スペル・シーサー(DRAGON GATE)
- 佐々木貴、GENTARO (アパッチプロレス軍)
- KUDO、飯伏幸太 (DDT)
- TAKAみちのく、PSYCHO (KAIENTAI-DOJO)
- 村濱武洋(フリー)、中嶋勝彦(健介office)
[編集] エキシビジョンマッチ出場者
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