日高郁人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日高 郁人(ひだか いくと、1972年8月5日 - )は、ZERO1-MAXに所属する日本の男子プロレスラーである。島根県益田市出身、172cm、80kg、B型。
プロレスラーとしては小柄でジュニアの体躯ではあるが、卓越した試合センスを持ち、金丸義信や丸藤正道とはまた違った絶妙な上手さを誇る。格闘系のバトラーツ出身ながらも純粋なプロレスを貫き通し、その評判も高いことから「名勝負製造機」として賞される。若手の頃からそのセンスは買われていて、バトラーツ時代などでは格上選手やゲスト選手に対し、オイシイ所を持って行かせる役に甘んじながらも、自らを磨いていたようだ。入場時に着用しているオリジナルマスクは「flame」と称され、彼のトレードマークでもあり、マスクが作られる前から着用のタイツの右腿部分に大きくあしらわれていて、グッズ化も成されている。
目次 |
[編集] 経歴
一度は大阪で就職するも、プロレスラーへの夢を諦めきれずアルバイトをしながら体を鍛え、1996年4月1日に格闘探偵団バトラーツに入門、1997年1月21日に船木勝一(現WWE所属のフナキ)を相手にデビューする。その後、ECWでの海外修行を経て2001年12月3日にバトラーツを退団、みちのくプロレス(ディック東郷や石井智宏らとFEC{ファーイーストコネクション}を結成)、大日本プロレス、ZERO-ONEと様々なリングを転戦し、2005年6月にZERO1-MAX所属となり現在に至る。その道中で行われた、共に「親友」と呼び合うパンクラスの伊藤崇文とのバーリトゥード対決は異色中の異色であろう。
1998年3月29日、みちのくプロレスにて「藤田ミノル」と初めて組んで以来、合間合間で長いブランクはあれども現在までにタッグを組み続け、その相性の良さからお互いに「相方」と呼び合い2005年のプロレス大賞にてベストタッグ賞を受賞するに至った。また、デビュー戦の相手である船木を「師匠」と言って慕っており、彼の決め技である「ショーン・キャプチャー」も彼から使用許可を得て使っているものである。彼のオリジナルブランド「flamex」では有名な「I LOVE NY」Tシャツのパロディ「I LOVE SC(ショーンキャプチャー)」Tシャツを自らのプロデュースにて販売。豊富なカラーバージョンが存在するが、少量限定生産らしく、色によっては再販も望まれている。
2006年4月のZERO1-MAXのS-ARENA大会に於いて、男女混成出身地別都市対抗戦が行われ、島根県益田市出身同士というよしみで豊田真奈美とのタッグを結成した。
[編集] 得意技
- ショーン・キャプチャー
- 一言で言えば前方回転式膝十字固め。相手がスタンドでグロッキー状態の時に、リング中央で両腕を開く大見得をきりながら観客と共に「ショーン・キャプチャー!」と叫び、技に移行する。この技で数多くの相手から勝負を奪い、2006年3月5日のプロレスリング・ノア日本武道館大会においても金丸からこの技でレフェリーストップ勝ちを奪った。元々は船木勝一のオリジナル技であったが、本人から使用許可を得て自身の絶対的なフィニッシュとしてこの技の価値を高めた。
- ミスティー・フリップ
- 相手と同じ方を向いた状態で前に立ち、相手の首を自分の右肩に後ろから置き、コーナーを駆け上って後方回転をしながらそのまま相手の後頭部をリングに叩きつけるオリジナル技。プロレスリング・ノア所属の丸藤が使う「不知火」と同形であるが、日高郁人の方が発表する方が早かった。所属・参戦団体の規模・TV中継の有無等で知名度の点では「不知火」の方が上となってしまっているが…。
- アイル・ビー・バック
- 厳密には「技」ではないが、日高を語る上では外せないムーブの一つ。リングからの転落寸前にサードロープを掴み、反動と腹筋力を使ってまるでビデオの逆回しのようにリング内へと戻るアクション。
[編集] タイトル歴
- PWF
- PWFユニバーサルタッグ王座 : 1回(第11代、&藤田ミノル)
- NWAインターナショナルライトタッグ王座 9回: (初代、&ディック東郷)(第5代、&藤田ミノル)
- プロレスリング・ノア
- GHCジュニア・ヘビー級タッグ王座 : 2回(第3代、&藤田ミノル)
- その他
- 4団体認定インターナショナルJr.ヘビー級王座 : 1回(第6代)