テレコム・アニメーションフィルム
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株式会社テレコム・アニメーションフィルム(Telecom Animation Film Co., Ltd.)は日本のアニメ制作会社。英略称はTAF。東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)の関連会社である。
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[編集] 概要
国内のテレビアニメに限界を感じた東京ムービーの藤岡豊社長が、アメリカ進出を夢見て、既に系列のスタジオにAプロダクションがあったにも関わらず、海外合作のためフル・アニメーションを描けるアニメーター育成を目的に1975年5月19日に設立したのがテレコムである。1980年代に東京ムービーの社運をかけた大作『リトル・ニモ』の制作に携わる。その制作準備中に大塚康生、宮崎駿、高畑勲ら東映動画系のスタッフが集い、宮崎による『ルパン三世 カリオストロの城』、高畑による『じゃりン子チエ』などの長編作品を制作。結果的に両名の東映動画からスタジオジブリに至る長編アニメ制作の橋渡しをすることになった。『リトル・ニモ』完成後は主にアメリカ作品の外注を手がけ、日本のアニメスタジオとしては異例のエミー賞の4度の受賞などアメリカ業界ではその作画力は評価が高い。1990年代後半からは国内作品の制作も多くなった。テレコム技術顧問を務める大塚によるアニメーター通信講座「アニメ塾」も主催。
動かすことには長けていると評価されるものの、枚数制限がありどちらかといえば止め絵でも美麗な作画を求める日本向け作品に関してはまだまだノウハウが足りていない。元々東京ムービー向けや海外向け一筋でマニア向けのOVAやUHFアニメ作品の制作歴がほとんど無く、アニメ制作会社でありながらもいわゆる「萌え文化」とは無縁な位置にあった。そのような状態でギャルゲー情報誌の連載を原作に持つテレビアニメ『双恋』にて美少女ラブコメディに挑戦したが、ささきむつみの描く原作イラストを基にアニメファンに好まれるよう的確にリファインできるアニメーターが不在だった。この為全く似つきもしないキャラクターデザインになり、原作ファンや美少女アニメファンを中心に非難を浴びた。
[編集] 沿革
1978年3月に読売新聞に募集広告を出し、1000人を越える応募者の中から、アニメに関心がないということを基準に43人が選抜され、4月から月岡貞夫が初期教育にあたった。同年の実験的な短編作品『おばけちゃん』がテレコムの初作品となり、完成後に月岡はテレコムを去る。1979年からはシンエイ動画より移籍した大塚康生が新人教育のために経験者のアニメーターに声をかけ、シンエイ動画から田中敦子、原恵子、OH!プロダクションからは友永和秀、丹内司、山内昇寿郎らがテレコムに参加。日本アニメーションで高畑勲監督作品で制作進行を務め、後にテレコム社長になる竹内孝次が制作担当として移籍したのもこの頃である。『リトル・ニモ』は準備段階だったため、当初は『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』の作画作業を行なった。10月には宮崎駿の下で劇場アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』の制作を担当、さらに1980年には長編第2作として高畑勲を招いて『じゃりン子チエ』に従事。新人たちもこれらを通じて一人前のアニメーターに成長した。その後も宮崎の下で『名探偵ホームズ』に携わるなど、宮崎と高畑の存在はテレコムにとって大きな存在であった。しかし、テレコムにとって本命の『リトル・ニモ』という企画に対して、高畑と宮崎の両名は否定的であり、宮崎が準備中の『リトル・ニモ』の代替案として提示した長編作品の企画が採用されなかったため、一時は『リトル・ニモ』の監督に決定していた高畑とともに社外に去り、優秀な演出家を失うこととなった。ただし、宮崎は後のアニメ映画『風の谷のナウシカ』の制作母体に当初テレコムを考えたり、テレコムが制作した『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』にスタジオジブリが制作協力、逆にジブリ作品に田中敦子などテレコムのスタッフが参加するなど、喧嘩別れしたのではなく、藤岡豊社長の『リトル・ニモ』に賭けた夢に高畑、宮崎の両者とも理解を示していたという。
『リトル・ニモ』は1988年に完成するが、制作待機中の1980年代のテレコムは東京ムービー新社の受注したディズニー、ワーナー・ブラザース、フィルメーションなどアメリカのプロダクションの外注を引き受けて、フルアニメーションの技術を習熟していった。その頃の担当作品には『The Littles』『ギャラクシー・ハイスクール』『ワズルス』『くまのプーさん』『タイニートゥーン・アドベンチャー』などの合作作品を担当。日本国内では知られることはなかったが、大塚の弁ではハリウッドでは「4th floor people」として知られる存在だったという。『ルパン三世 風魔一族の陰謀』を制作したのもこの頃である。また、『リトル・ニモ』のプロモーションに技術力を示すため、『ルパン三世 カリオストロの城』がアメリカの業界内での上映会に使われ、アメリカのアニメーターの間で宮崎駿の知名度が飛躍的に高まったという逸話がある。
その後もテレコムはワーナー・ブラザースのテレビアニメ『バットマン』『スーパーマン』の作画を手がけるなどして、1997年から1998年度のエミー賞「優れたアニメーション演技賞」を八崎健二、矢野雄一郎、増田敏彦、青山浩行の4名のテレコムの原画陣が受賞。1990年からの4度目のエミー賞受賞となっている。テレビのリミテッドアニメで発展してきた日本のアニメ界において、フルアニメーションの技術を持つスタジオとして存在感を示した。アニメーターの今石洋之や安彦良和らによると、日本のアニメーターの間でもテレコムには名門あるいは最高峰の登龍門というイメージがあるという。これには、テレコムの新人募集に対して、宮崎駿、高畑勲、大塚康生の下で学びたいという志願者が殺到、難関を突破したのは実力者ばかりという理由がある。
2001年、テレコムが長年発注を受けて来たワーナー・ブラザースが、外注を全て韓国に回すようになる。日本国内では東京ムービーの子会社として、東京ムービー新社制作作品の外注をこなしてきたが、2003年にWOWOWで放送された『パタパタ飛行船の冒険』をきっかけに単独制作に参入。またマッドハウスとの共同制作の『無人惑星サヴァイヴ』(2003年~2004年)や単独製作作品『タイドライン・ブルー』(2005年)等良質なジュブナイルSF作品を手がけることで一部アニメファンより評価される。
2000年代半ばより東京ムービー以外の下請けにも参加するようになり、『ぴたテン』『花田少年史』(マッドハウス)や『焼きたて!!ジャぱん』(サンライズ)のグロス請けをするなど現代的なアニメ作品へ追い付こうという姿勢を見せている。2006年に『無敵看板娘』で美少女コメディに再挑戦したが、やはり古さを感じる演出には賛否両論がある。
[編集] 手がけた作品
[編集] 自社制作
- 『パタパタ飛行船の冒険』(2002年)
- 『無人惑星サヴァイヴ』(2003年)
- 『双恋』(2004年)
- 『タイドライン・ブルー』(2005年)
- 『無敵看板娘』(2006年)
[編集] 制作
- 『ルパン三世 カリオストロの城』
- 『ルパン三世 風魔一族の陰謀』
- 『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』
- 『じゃりン子チエ』
- 『リトル・ニモ』
- 日生ファミリースペシャル 『姿三四郎』
- 花王名人劇場 『東海道四ッ谷怪談』
[編集] グロス請け・制作協力・作画等下請け
- 『ルパン三世』
- 『太陽の使者 鉄人28号』
- 『名探偵ホームズ』
- 『サイバーシックス』
- 『それいけ!アンパンマン』
- 『モンスターファーム~円盤石の秘密~』
- 『犬夜叉』
- 『焼きたて!!ジャぱん』
[編集] 役員
- 松元理人(役員取締役会長)
- 竹内孝次(代表取締役社長)
- 友永和秀
- 富沢信雄(取締役作画第二部長)
- 吉田諭司
- 山田克博
- 長坂真也(監査役)
[編集] OB・OG
[編集] 関連項目
[編集] 関連書籍
- 大塚康生「リトル・ニモの野望」(ISBN 4198618909)
- 大塚康生「作画汗まみれ 増補改訂版」(ISBN 4198613613)