テディ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1913年 |
死没 | 1936年 |
父 | アジャックス |
母 | ロンド |
生産 | エドモン・プラン |
生国 | フランス |
馬主 | ジェファースン・デイヴィス・コーン |
調教師 | ロバート・デンマン |
競走成績 | 8戦6勝 |
テディ(Teddy)は、フランスの競走馬。第一次世界大戦の影響下スペインでも走った。後種牡馬として成功。
スペインはそれほど競馬が盛んではなく、スペインで走った競走馬として世界的に知られているのはテディ以外ほとんどいないが、折しも第一次世界大戦下、中立国スペインに注目が集まり世界レベルの競馬が展開されていた。その後スペイン競馬は衰退し、首都のマドリード競馬場や英領ジブラルタルの競馬場は廃止されているものの、テディ等が走ったバスクのサン・セバスティアン競馬場は現在も競馬が続けられている。
テディがデビューしたのはいきなり当時の同競馬場最大のレースサンセバスチャン大賞であった。デイヴィス・コーンにとって期待馬とはいえほとんど注目されることもなくレースが始まり、スピリット相手にいとも簡単に初勝利を収めてしまった。続くサンセバスチャンセントレジャーも楽勝であった。しかしコパ・デ・オロ・デ・サンセバスチャンではさすがに疲労が出たのか3着に敗北した。同年フランスで競馬が再開されたためこのレースを最後に切り上げ、フランスに戻った。
フランスに戻ってからもダルネイ賞(代替リュパン賞)、トロワアン賞(代替ジョッケクルブ賞)に勝ち、サブロニエール賞でもリュパン賞馬ラファリナを破るなど能力を見せた。
引退しばらく休養し、5歳からボワルセル牧場で種牡馬として供用された。1923年には3世代目の産駒サーギャラハッドがプール・デッセ・デ・プーランとジョケクルブ賞に優勝しフランスリーディングサイアーになった。その後しばらくは活躍馬が出なかったが、高齢になってローズオブイングランドやオルテッロが活躍し、またサーギャラハッドがアメリカでリーディングサイアーになった。その後ブルドッグも種牡馬として成功しテディの子孫は大きく発展していくことになる。テディ自身は晩年アメリカに渡り、23歳の時にケンタッキーの片田舎で死んだ。
[編集] 主な産駒
- サーギャラハッド(プール・デッセ・デ・プーラン、ジョケクルブ賞、アメリカリーディングサイアー)
- ブルドッグ(アメリカリーディングサイアー)
- オルテッロ(凱旋門賞、イタリアリーディングサイアー)
- アステリュー(チャンピオンステークス、プール・デッセ・デ・プーラン)
- ローズオブイングランド(オークス)
- アセルスタン
- サンテディ(後継種牡馬)
テディの血統 (オーム系/Bend Or5×3=15.62% Galopin4.5×5=12.50%) | |||
父
Ajax 1901 |
Flying Fox 1896 鹿毛 |
Orme | Ormonde |
Angelica | |||
Vampire | Galopin | ||
Irony | |||
Amie 1893 栗毛 |
Clamart | Saumur | |
Princess Catherine | |||
Alice | Wellingtonia | ||
Asta | |||
母
Rondeau 1900 鹿毛 |
Bay Ronald 1893 |
Hampton | Lord Clifden |
Lady Langden | |||
Black Duchess | Galliard | ||
Black Corrie | |||
Doremi 1894 栗毛 |
Bend Or | Doncaster | |
Rouge Rose | |||
Lady Emily | Macaroni | ||
May Queen F-No.2-n |
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