ダイビングクイズ
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ダイビングクイズは毎日放送(MBSテレビ)制作、NET(日本教育テレビ 現:テレビ朝日)系にて、 1964年4月8日から1974年3月31日まで日本時間の14:00~14:30までに放送されたクイズ番組である。
スタート当時は水曜日の昼の放送だったが、後に日曜日に移動した。
解答者は滑り台に掴まり、クイズに答える。 お手付きすると、滑り台の角度が上がって行き、耐え切れずに落っこちれば即失格(リタイア)。 単純で視覚的にも分かりやすい事から人気が高く歴史に残る人気番組だった。
また、お笑い的に見ても面白い企画のため、後に多くのバラエティ番組(とんねるずのみなさんのおかげですなど)の企画として登場するようになった。
後番組は「東リクイズ・イエス・ノー」。
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[編集] スポンサー
番組スタートからしばらくは、魔法瓶等の製造メーカーグロリア魔法瓶製作所(当時は犬マークのブランドであった。本社は大阪府羽曳野市)の単独提供であった。この時は「グロリア・ホームゲーム」と言うサブタイトルが付いていた。
なお末期のスポンサーはネッスル日本、ピアス化粧品他各社となった。
[編集] 番組ルール
[編集] 初期(1967年ごろまで)
個人戦方式の一回勝負、解答者は滑り台につかまる。解答者に対しクイズが出題される、誤答や答えられないときは滑り台の傾斜(だいたい10~15度の角度)が上がる。耐え切れず下に落ちたところで即失格。 なお滑り台の下は、無数の風船の海だった。
[編集] 中期
勝ち抜き制、ただしルールは個人戦のルールを引き継いだ。 問題の出題は交互に出された(そのとき出題者は、○○さんへの問題と必ず言っていた)、対戦者のどちらかが滑り台の傾斜に耐え切れず、すべり落ちた時点で、残った方の勝ち、5人勝ち抜いた時点で天井から花吹雪が降りチャンピオンとなる。
[編集] 末期
勝ち抜き制、勝ち残りのチャンピオンと挑戦者の対戦。
早押しクイズを出題。解答権を得た解答者が、正解すると相手の滑り台の傾斜が1段(約15度の角度)上がる、但し不正解だと自分の滑り台の傾斜が一段上がる。
どちらかが、傾斜に耐え切れず、風船の海に落ちるか、相手の滑り台の傾斜が6段階になったところでゲーム終了。勝ち抜きとなる。
最終的に7人勝ち抜いた時点で天井から花吹雪が降りチャンピオンとなり、海外旅行又は豪華賞品を獲得。
[編集] 放映ネット局
- 毎日放送(制作局)
- 札幌テレビ(当時は日本テレビ系・フジテレビ系クロスネットでNET系列外。北海道テレビ開局後も1970年3月まで放送)→北海道テレビ(1970年4月から終了まで)
- ミヤギテレビ(1970年10月開局から 当時は日本テレビ系・NETテレビ系のクロスネット)
- NETテレビ(現:テレビ朝日)
- 東海テレビ放送(1960年代。フジテレビ系)→名古屋放送(現:メ~テレ)(NET系の単独ネットとなった1973年4月から)
- 岡山放送(1969年4月開局から 当時は岡山のみでフジテレビ系・NETテレビ系のクロスネット)
- 中国放送(広島ホームテレビ開局後も移行せず継続)
- 瀬戸内海放送(当時は香川のみだった)
- 九州朝日放送
この他にも遅れネット局や不定期で放送していた局がある。
[編集] 賞金
- 1問正解につき、¥1000
- 勝ち抜き賞 1人につき、¥10000
- 優勝賞金 5人抜き・7人抜き時代共に、¥300000
[編集] 主な出演者
[編集] 司会者
- 初代 千葉信男(喜劇俳優)-1964年4月~1964年9月
- 2代目 若井はんじ・けんじ(上方漫才師)-1964年10月~1973年3月
- 3代目 ジェリー藤尾(歌手・タレント)-1973年4月~1974年3月
- 司会者は 都合三代目まで居るが、特に二代目の若井はんじ・けんじは、当時人気兄弟漫才師であったことや放送期間の大半はこのニ人の司会で放送されたため、現在でもこの番組を懐かしむ人たちは、司会と言えば、この二人と言う人が多い。
[編集] 出題者
- 初代 三井洋子
- 2代目 水谷勝海(MBSアナウンサー)
[編集] 一口メモ
- 勝ち抜き制になってから、当初五人勝ち抜くには、大体2~3週掛かったが、末期は番組がスピーディに進行するルールのため、大体2週で7人勝ち抜きが出た。
- 番組放送当時(1973年~1974年)クイズ王と言われた囲碁棋士の小山鎮男は、五人抜き時代にあと一人で優勝だったが、対戦相手も強豪で、足掛け2週目に負けたが、番組末期の7人抜き時代に、再挑戦で1日で7人抜きの快挙を成し遂げた。
- 放送された当時はVTRが2インチで機械・テープとも高価だったうえ編集作業も煩雑だったことや、著作権法の関係で番組の資料保存が安易に行えなかったことなどから、1960年代の映像は現存していないと考えてよく、70年代についても5人又は7人勝ち抜きによる優勝者があった回、及び最終回ぐらいしか現存していないと思われる。
カテゴリ: 毎日放送のテレビ番組 | クイズ番組