タロ
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タロ(1955年10月 - 1970年8月11日)は樺太犬。
ジロ、サブロ(訓練中に死亡)とは兄弟である。
名は、白瀬矗の南極探検の際、犬ぞりの先導犬として活躍した樺太犬、タロとジロ(タロウとジロウとも)にちなむ。
[編集] 経歴
- 1956年(昭和31年)11月 11名の隊員と22頭の樺太犬、東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発。
- 1957年(昭和32年) 第1次観測隊(第1次越冬隊)に参加。犬ぞりを曳くなどに使役された。
- 1958年(昭和33年)2月 第2次越冬隊が天候の悪化から昭和基地に到着できず、第1次隊員はヘリコプターで救出され、犬ぞりに首輪につながれたまま15頭の犬に1週間分の餌を残して南極を後にする。(南極生まれの子犬と、その母犬のシロ子は救出され日本へ帰還)
- 1959年(昭和34年) 1月14日 第3次越冬隊のヘリコプターで昭和基地にタロとジロの生存が確認される。
- 1961年(昭和36年) 帰国。宗谷には赤道越えのための冷房室が特別に用意された。
3次観測隊のヘリが上空から2頭を確認。着陸するとかけよってきて操縦士に寄ってきたが、大きく成長していてどの犬だったのか判別がつかなかった。急遽、1次越冬隊で犬係だった北村泰一が2番機で基地に向かうことになった。犬たちは北村に対しても警戒していたが、頭をなでながら次々と犬の名をよびかけると、タロの名のところで反応して尻尾を振った。基地に置いてきた犬の食料や死んだ犬を食べた形跡はなく、アザラシの糞やペンギンを食べて生きていたのだろうと北村は推測している。北村らは3次隊越冬の際、タロとジロが2頭でペンギンを捕獲する所を目撃している。
1961年から1970年まで札幌市の北海道大学植物園で飼育され、死亡後は同園で剥製として展示されている。またタロとジロの血を引く子孫の犬が日本各地に散らばっている。 2006年7月15日~9月3日まで上野の国立科学博物館で行われている「ふしぎ大陸南極展2006」では弟のジロとともに剥製が展示されている。
タロとジロの剥製が初めて同じ場所で陳列されたのは、1988年9月2日から17日間開催された、稚内市青少年科学館でのタロ・ジロ里帰り特別展である。
既に死んだと思われ、1958年7月、ジロや他の13頭の犬とともに大阪府堺市で銅像(樺太犬慰霊像)にされた。
『南極物語』という映画が制作された。
[編集] 裏からの視点
この事件は、人間側から見れば美談であるが、ペンギンから見れば、凶悪な肉食動物を人間が置いていったために大被害を受けた、という悲劇である。この視点から、星新一はショートショートを一編書いている。