セレス小林
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セレス小林(せれす こばやし、本名:小林昭司、1973年2月27日 - )は、茨城県出身の元WBA世界スーパーフライ級王者。左ボクサーファイター。リングネームの「セレス」はポルトガル語で「青空」という意味で、本人が勤務する冠婚葬祭会社から取ったとのこと。
夫人と娘の3人家族であり、リングを離れれば、子煩悩の優しいパパである。
主な入場テーマはSTRATOVARIUSの「ANTHEM OF THE WORLD」。
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[編集] 略歴
- 1992年4月にバンタム級でプロデビューするも、4回判定負け。
- 1994年12月、東日本スーパーフライ級新人王獲得。
- 1997年9月、日本王座初挑戦も、同フライ級王者スズキ・カバトに3回負傷引き分けで、王座獲得ならず。
- 1998年4月、カバトに再挑戦するも、10回判定負けで王座獲得ならず。
- 同年9月、カバトに3度目の挑戦。10回判定勝ちを収め、日本フライ級王座獲得。
- 1999年3月、3戦目で日本タイトル挑戦となる石原英康に7回KO勝ちし初防衛。
- 1999年7月、寺尾新に9RTKO勝ちで2度目の防衛に成功。
- 1999年11月、秋田勝弘に3-0の判定勝ちで3度目の防衛。
- 2000年4月、世界ランカーの浅井勇登に7RKO勝ちで4度目の防衛に成功。
- 2000年8月、日本王座在位のまま世界初挑戦。WBC世界フライ級王者マルコム・ツニャカオ(フィリピン)に挑むが、引き分けで王座奪取ならず。(日本フライ級王座保持したまま世界初挑戦~ツニャカオ戦後に一時的に八尋史朗との5度目の防衛戦が内定~1階級上げての世界再挑戦が決定し王座返上=八尋戦はお蔵入り)
- 2001年3月11日、横浜アリーナ世界再挑戦。WBA世界スーパーフライ級王者レオ・ガメス(ベネズエラ)を10回TKO勝ちに降し、世界王座獲得。
- 2002年3月9日、2度目の防衛戦で21戦全KO勝ちの"怪物"アレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)に8RTKO負けを喫し、王座陥落。
結局、この試合を最後に引退。(実は徳山昌守の5度目の防衛戦の相手として名前が浮上していたが、本人が固辞)
[編集] 戦績
- 32戦24勝(14KO)5敗3分。
- 世界戦戦績4戦2勝(1KO)1敗1分。
[編集] 引退後
レパード玉熊同様に古巣・国際ジムでのトレーナー生活を経て、現在は千葉県内に「セレス小林ボクシングジム」を開設。また、太田プロダクションと契約を結んでおり、芸能界でのタレント活動にも参加しているもよう。