セリエA (野球)
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セリエA(セリエ・アー, Serie A)は、イタリアの野球トップリーグの名称。セリエとはイタリア語で「シリーズ」という意味である。イタリア野球界はセリエAをトップにA1、A2、B、Cとレベルごとにカテゴリ分けされている。セリエA1:10チーム、A2:24チーム、B:40チーム、C:51チームの合計130チーム(外部チーム含む)によって優勝が争われている状況である。
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[編集] 概要
- イタリアにおいて野球は1944年にローマ北部のネットゥーノという町に伝えられたのが始まりとされ、その4年後の1948年には早くも野球・セリエAが誕生し公式戦が行われたと記録されている。現在、競技人口は5万人[1]を突破し、6歳から18歳のジュニアプレーヤーが年齢別に区切られた組織で育成されている。平均月収は10~20万円程度。他国のように学校や企業などが主体で自然発生的に生まれた球団・クラブはなく、全てが計画的に作られている。これもセリエAならではの特徴と言えるだろう。
- 1960年代からは強豪国キューバなどから、指導者や選手などの人材を招聘、国際試合などにおいてヨーロッパ野球界をリードする存在になったが、国際野球連盟によって国際試合へのプロ選手の参加が認められるようになると状況は一変。他国と比べて実力的に劣るようになり、欧州ではメジャーリーグ等へ積極的に選手を送り込んでいたオランダの後塵を拝するような状態になってしまった。このため近年では国内リーグの強化だけでなく、アメリカマイナーリーグ等へ選手を送り出すという方針が取られている。
- また、国際ルールが変更され、金属バット使用から木製バット使用に変更された際に若年層の適応が遅れ、現在の弱体化を招いてしまったと言われている。第35回のIBAFワールドカップの代表チームは平均年齢24.8歳という若年層主体で挑んだが、欧州予選リーグで全7ヵ国中6位という結果に終わっている。
[編集] 試合システム
- セリエAは10チームによる1リーグ方式が取られている。ホームとロードの3連戦、6回総当たりの計54試合によってリーグ戦が争われ、リーグ戦の上位4チームがプレーオフに進出。さらにプレーオフで上位2チームが勝ち残り、メジャーリーグで言うワールドシリーズにあたる、ウィンド・ベースボール・シリーズによってリーグチャンピオンを決定する。このチャンピオンは翌年6月に開催されるヨーロピアンカップの出場チームになる。
[編集] 外国人登録システム
セリエAでは2006年シーズンから外国人登録システムに変更が加えられた。詳細は以下のとおりである。
[編集] 外国人選手
セリエA1では同時に5人までの登録が認められ、シーズン途中での交代も認められる。セリエA2では外国人選手の登録は認められない。
[編集] 外国で育ったイタリア国籍の選手
イタリアでは、父母か祖父母がイタリア国籍であればイタリア国籍を取得できる。この制度を利用して国籍を取得した、外国で生まれ育ったイタリア国籍取得者をオリウンド(ORIUNDO)と呼ぶ。このオリウンド選手を1チーム7人までに制限する。
- 規定により、イタリア人選手は、イタリア国籍であり、10~21歳のうち半分以上ジュニアとしてイタリア野球連盟に登録されている必要がある。オリウンド選手はこの規定に入らないイタリア国籍選手を指す。
[編集] 投手に関する特例
週3回の試合のうち、1試合はイタリア人投手のみの登板とする。
[編集] 2005年以前のシステム
2005年以前はセリエA1の外国人選手の登録は1シーズンのべ5人、A2はのべ1人までであり、外国人投手の投げる試合は週に1試合しか設定できなかった。オリウンド選手に関する規定は特に無かった。
[編集] セリエA1参加チーム
[編集] 2006年シーズン
2006年シーズンを戦うチームは以下の9チームである。本シーズンは奇数チームのため週ごとに1チームずつ交替で休みの週が生まれる。
- アンツィオ(Anzio)
- グロッセート(Grosetto)
- ゴード(Godo)
- サンマリノ(San Marino)
- ネットゥーノ(Nettuno)
- パルマ(Parma)
- ボローニャ(Bologna)
- モデナ(Modena)
- リミニ(Rimini)
[編集] 2005年シーズン
2005年シーズンセリエA1を戦ったのは以下の10チームである。
- グロッセート(Grosetto)
- サンマリノ(San Marino)
- トリエステ(Trieste)
- ネットゥーノ(Nettuno)
- パテルノ(Paterno)
- パルマ(Parma)
- ボローニャ(Bologna)
- モデナ(Modena)
- リミニ(Rimini)
- レッジョエミリア(Reggio Emilia)
[編集] 日本における認知
- 2003年に読売ジャイアンツの小野剛選手がセリエA1のサン・マリーノへ移籍が決定した際にマスコミで報道された他(現在は西武ライオンズへ移籍)、2004年のアテネ五輪において長嶋ジャパンがイタリアをキャンプ地とした際に、セリエA選抜チームとの練習試合を行っている。
[編集] 日本人の在籍選手
- 脇田善旨2001年ボローニャ
- 品田操士2002年ボローニャ
- 小野剛2003年サンマリノ
- 前田勝宏2003年ボローニャ
- 湊川誠隆2005年レッジョエミリア
- 八木虎造2005年- パレルモ(日本でのプロ経験なし。本職はプロカメラマン。)