スルガスンプジョウ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栃栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1971年5月25日 |
死没 | 1982年 |
父 | バーバー |
母 | カネヤナギ |
生産 | 青森牧場 |
生国 | 日本(青森県) |
馬主 | 望月茂 |
調教師 | 成宮明光(白井) |
競走成績 | 12戦6勝 |
獲得賞金 | 6670万4600円 |
スルガスンプジョウは日本の競走馬。1974年世代。同期はキタノカチドキ・コーネルランサー等。マイラー系種牡馬バーバーの代表産駒である。
[編集] 極端な配合
インブリードの定番・奇跡の血量と謂われる18.75%であるが、同馬はなんと37.5%を英ダービー馬・ストレイトディールから受け継いでいた。これ程極端なインクロスの血統を持つ名馬はコロナティオン(トウルビヨンの50%)位で、近代競馬では極端な近親配合は劣性遺伝の問題(昨今は『鍛えて強くする(長距離を持たせる)』スタイルが主流故に、近親配合が原因の身体の弱体化による不利益が大きい)も有り嫌われている。近親婚に寛容(法律上は従兄弟間での結婚もOK)な日本でも配合ミス以外の理由では稀な事で有る。それでも、スルガスンプジョウ誕生から20年後、シンコウキング(ノーザンダンサーの37.5%)が登場し1997年の高松宮杯に勝利している。面白い事に、主戦はスルガスンプジョウと同じ岡部幸雄であった。尤も、シンコウキングはアイルランド産で有るので、スルガスンプジョウと違い日本産馬では無い。他にも、『奇跡の馬』と言われたラムタラ(ノーザンダンサーの31.25%)も極端な近親配合で成功した馬である。但し、シンコウキング・ラムタラ共に日本に多いノーザンダンサーの血が強すぎたが故に、ノーザンテースト(日本で大成功したノーザンダンサー産駒の種牡馬)が席巻していた日本では繁殖牝馬に恵まれず、種牡馬成績は不発に終わり共に海外に渡っている。
[編集] 戦績
1973年11月4日、スルガスンプジョウは新潟競馬場開催のデビュー戦を快勝。次走も逃げ切って勝ち、連勝の勢いに乗って挑んだ条件特別では、後のダービー馬・コーネルランサーによもやの惜敗。しかも、1ヵ月半の間に3戦もしたツケが回ってソエが出てしまい、止む無く4ヶ月の休養。ベスト距離と思われた皐月賞には参戦出来ずに終わった。
翌1974年、条件特別勝ちの勢いに乗って距離に一抹の不安のあるダービーに挑んだ。だが、大本命・キタノカチドキが3着に沈んだ肝心のレースは、最後の直線で前を塞がれ最後方に下がって大外を回されたのが響き6着に終わった。その後、『残念ダービー』と言われていた日本短波賞(中山1800メートル)に出走したスルガスンプジョウは単勝1.1倍の支持に応え横綱相撲で快勝。その後、スルガスンプジョウは秋に向けて休養に入った。
休養明け後のセントライト記念(東京2400メートル)を快勝とは言えないが勝ち距離不安を克服したが、陣営は菊には向かわずダービー卿チャレンジトロフィー(東京1800メートル)に挑戦した。適距離と言う事で圧倒的1番人気であったが、故障でクラシックに出られなかった関東のエース・カーネルシンボリには先着するも3着。この時ザオーリュウジン・ニシキエースの連複馬券8-8は3万円以上の当時としては画期的な高配当となった。
次走のクモハタ記念勝って休養に入ったスルガスンプジョウだったが、復帰後は中距離路線未整備故に適鞍に恵まれず、ホワイトフォンテンが優勝・単勝万馬券と言う大波乱になった日本経済賞が最後の走りとなっている(単勝1番人気・3着)。