ラムタラ
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性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1992年2月2日 |
父 | ニジンスキー |
母 | スノーブライド |
生産 | ゲインズバラファーム |
生国 | アメリカ |
馬主 | サイード・マクトゥーム・アル・マクトゥーム |
調教師 | アレックス・スコット(イギリス) →サイード・ビン・スルール(UAE) |
競走成績 | 4戦4勝 |
獲得賞金 | 79万2033ポンド 400万フラン |
ラムタラ(Lammtarra)は、競走馬である。馬名はアラビア語で「見る事ができない(ほど速い)」という意味である。たった1戦のキャリアでエプソムダービーを制したこと、そして4戦4勝と無敗のまま引退したこともあり、馬名との連想から「奇跡の名馬」または「神の馬」と呼ばれた。父は英三冠馬ニジンスキー、母は1989年のエプソムオークスを繰り上がりで勝利したスノーブライドである。
目次 |
[編集] 競走馬時代
1994年の2歳時に、イギリスで1戦1勝。しかし所属厩舎の調教師であるアレックス・スコットが元従業員の男に射殺され、転厩(てんきゅう)を余儀なくされる。翌1995年、エプソムダービーに向けて調整中の3月に、突然肺の感染症をわずらい、やむなく3歳の初戦としてぶっつけでエプソムダービーに出走することになる。ところがそんな悪条件をはねのけ、マームードの記録を59年ぶりに破る2分32秒31のレコードで優勝。続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスはペンタイアとのマッチレースの末に優勝。さらにぶっつけでフランスの凱旋門賞までも制し、史上初めて無敗でヨーロッパの三大レース(日本のみヨーロッパ三冠と呼ぶ)を全て制した。
[編集] 競走成績
出走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 | 着順 | 騎手 | タイム | 着差 | 1着(2着)馬 |
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1994年8月12日 | ニューベリー | ワシントンシンガーS | 準重賞 | 芝7f | 1着 | W.スインバーン | 1:28.26 | 3/4馬身 | (Myself) |
1995年6月10日 | エプソム | エプソムダービー | G1 | 芝12f10y | 1着 | W.スインバーン | R2:32.31 | 1馬身 | (Tamure) |
1995年7月22日 | アスコット | キングジョージ | G1 | 芝12f | 1着 | L.デットーリ | 2:31.01 | クビ | (Pentire) |
1995年10月1日 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 芝2400m | 1着 | L.デットーリ | 2.31.8 | 1馬身 | (Freedom Cry) |
[編集] 種牡馬時代
凱旋門賞優勝の直後に引退し、種牡馬生活に入る。翌年イギリスで初年度の交配を終えると、日本の日高の生産者グループが3000万ドル(約32億円)で輸入(シンジゲートの募集額は44億円)し(この行為に多くの国から日本は批判された)、日本で種牡馬生活を営んでいたが、残念ながら日本では期待値を遥かに下回る結果となり、2006年の種付けシーズン終了後に英国に買い戻されることとなった。売却額は購入時の1/100以下となる24万ドル(約2,750万円)と報道されている。
JRA(日本中央競馬会)のリーディングサイヤーランキングでは2002年の13位がこれまでの最高である。
[編集] 産駒の傾向
日本において生産された産駒に関して言えば、パワーやスタミナこそ十分なものを持っていたが、走破時計面での能力不足に泣いた産駒が多い。サンデーサイレンス産駒の登場以降ますます拍車が掛かっていた日本の競馬界、とりわけ中央競馬のスピード化に対応する事ができなかったものといえる。これはラムタラのみならず、ザグレブなど平成以降のヨーロッパのクラシックタイプの輸入種牡馬が、日本で失敗する典型的なパターンである。
また、血統面ではノーザンダンサー(Northern Dancer)の2×4という濃いインブリードを持っていた為、欧米以上にノーザンダンサーの血筋が溢れ返っている日本では、自身もノーザンダンサーのインブリードを持つ牝馬との配合が難しかったなど、この配合パターンに制限が生じていた面も否定できない。
[編集] 主な産駒
- メイショウラムセス:富士ステークス(GIII)
- シメオン(Simeon):クラシックトライアル(英GIII)
- マルカセンリョウ:名古屋大賞典(NAR GIII)
- ミレニアムスズカ:阪神ジャンプステークス(J-GIII)
- ロイヤルエンデバー:埼玉新聞杯
- メリカー(Melikah):アイルランドオークス(愛GI)2着
[編集] 特記事項
2002年9月14日の阪神競馬の特別競走は、第9競走の阪神ジャンプステークスをミレニアムスズカが、第10競走の兵庫特別をイングランドシチーが、第11競走の大阪スポーツ杯をメイショウラムセスが勝利し、同日の特別競走をラムタラ産駒で3連勝した。また、最終第12競走の夙川特別も、ラムタラと同じニジンスキー産駒であるマルゼンスキーの産駒ミカダンディーが勝ち、ニジンスキー系(ノーザンダンサー系でニジンスキーの直系子孫)種牡馬の産駒が、この日の特別競走を全て勝利した。
[編集] 血統表
ラムタラの血統 (Northern Dancer2×4=31.25%、Nearco4×5=9.38%、Menow4×5=9.38%) | |||
父
Nijinsky 1967 鹿毛 カナダ |
Northern Dancer 1961 鹿毛 カナダ |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Flaming Page 1959 鹿毛 カナダ |
Bull Page | Bull Lea | |
Our Page | |||
Flaring Top | Menow | ||
Flaming Top | |||
母
Snow Bride 1986 栗毛 アメリカ |
Blushing Groom 1974 栗毛 フランス |
Red God | Nasrullah |
Spring Run | |||
Runaway Bride | Wild Risk | ||
Aimee | |||
Awaasif 1979 鹿毛 カナダ |
Snow Knight | Firestreak | |
Snow Blossom | |||
Royal Statue | Northern Dancer | ||
Queen's Statue F-No.22-b |
[編集] 関連情報
「奇跡の馬」「神の脚」ラムタラはその卓越した競走成績と、日本へ高額で輸入されたことから、日本でも広く名前が知られるようになった。ラムタラを題材にした小説として、伴野朗のサスペンス小説「ラムタラは死の香り」がある。
また、関東を中心にチェーン展開するビデオ販売店の屋号にもラムタラの名は使われている。このチェーンについては、ラムタラ (ビデオ販売店チェーン)を参照。