ジョン・テンタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・テンタ(John "Anthony" Tenta、1963年6月22日 - 2006年6月7日)は、カナダ・バンクーバー出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。最高位は幕下43枚目。身長196センチ、体重160キロ。ジ・アースクエイク、ビッグ・ジョン・テンタなどのリングネームでも知られる。得意技はヒップドロップ。
[編集] 経歴
元レスリング世界ジュニア選手権スーパーヘビー級チャンピオンという肩書きをもち、1985年にルイジアナ州立大学を中退して佐渡ヶ嶽部屋に入門。琴天太(後に琴天山)の四股名で1985年11場所初土俵。以降、序ノ口、序二段、三段目でいずれも7戦全勝で優勝し、21連勝を達成(前相撲を含めると24連勝)。しかし相撲界の雰囲気になじめず、1986年7月場所には幕下43枚目に昇進するも土俵に上がらず失踪し、初土俵後無敗のまま廃業した。
相撲廃業後。すぐに「プロレス入り」が噂され、新日本プロレスの興行に来場。ワールド・プロレスリング中継で猪木と握手する姿が生放送されるが、新日本プロレスを選ばずに全日本プロレスに入団する。この経緯には様々な説があるが、プロレスマスコミは「両団体が天秤にかけられるとはプロレスもなめられたものだ」という旨の皮肉をこめた記事を書いている。
デビュー戦はジャイアント馬場とタッグを組んで、ラッシャー木村、鶴見五郎組と対戦した。このデビュー戦のリングコスチュームとシューズは天龍源一郎からプレゼントされた。1989年にはWWF(現WWE)に参戦し、カナディアン・アースクウェイクのリングネームで活躍しタッグ王座を獲得、ハルク・ホーガンと抗争したり、日本では全日本プロレスのほかにSWS、WAR、新日本プロレス、UWFインターなどに参戦して北尾光司と対戦するなどして活躍した。
2006年6月7日、フロリダで膀胱癌のため42歳の若さで死去。
[編集] 改名歴
- 琴天太(ことてんた)1985年11月場所-1986年3月場所
- 琴天山(ことてんざん)1986年5月場所-1986年7月場所(廃業)
[編集] 各段優勝
- 三段目優勝:1回(1986年5月場所)
- 序二段優勝:1回(1986年3月場所)
- 序ノ口優勝:1回(1986年1月場所)
カテゴリ: カナダのプロレスラー | 元大相撲力士のプロレスラー | 外国出身力士 | 1963年生 | 2006年没