ジャン・ル・ロン・ダランベール
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ジャン・ル・ロン・ダランベール(Jean Le Rond d'Alembert、1717年11月16日 - 1783年10月29日)は、フランスの数学者、物理学者、哲学者。
1743年に「動力学論」を刊行し、全ヨーロッパで脚光を浴びる。次いで「流体の釣り合いと運動論」「風の一般的原因に関する研究」などの物理学的研究を次々に発表した。その研究は社交界でも注目され、科学関係者だけでなくディドロ、ルソー、コンディヤックらの哲学者と知り合い、関心分野を広げた。その知名度と関心の広さを見込まれ、ディドロとともに「百科全書」の責任編集者となり、その刊行(1751年)にあたっては序文を執筆した。その後「百科全書」に「力学」「原因」「加速的」など150の項目を執筆し、それらをとおして、「力学は単なる実験科学ではなく、混合応用数学の第一部門である」と主張した。ダランベール力学の大きな功績は、ニュートン力学を肯定しながらも、そのなかにみられた神の影響を払拭した点にある。また「動力学」の項目では「ダランベールの原理」を明らかにしている。
1757年ヴォルテールを訪問し親交を結んだ。またこの年「百科全書」に執筆した「ジュネーヴ」の項がルソーらの反論を呼んだ。この事件に追い打ちをかけるように、王権からの「百科全書」刊行に対する圧力が強まるなかで、1759年には責任編集者を退いた。その後1761年に「数学小論集」の刊行を開始し、1780年に完結させた。ただし1760年代以降のダランベールは、関心が哲学や文学に向かったことや健康状態が悪化したことなどのため、執筆活動は衰えている。
[編集] 関連項目
- 波動方程式(ダランベールの演算子)
- ダランベールの原理
- ダランベールの収束判定法