ジェリー・ローラー
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ジェリー・ローラー(Jerry Lawler、1949年11月29日 - )は、アメリカのプロレスラー、プロレス解説者である。常に王冠をかぶっていることから南部の帝王、キング(The King)のニックネームで知られ、ジェリー・“ザ・キング”・ローラーとも呼ばれる。テネシー州メンフィス出身。第48代AWA世界ヘビー級王者。WWEのロウに所属し、普段はロウの解説者として活動し、ストーリーに応じて試合も行う。息子はかつてWWEで”ブライアン・クリストファー”、”グランマスタ・セクセィ”の名で活躍したブライアン・ローラー。また従兄弟にはかつてWWEで活躍したホンキー・トンク・マンを持つ。
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[編集] 経歴
大学在学中からイラストレーター、ラジオDJとしても活動を開始。ジャッキー・ファーゴなど当時のテネシーのスター選手たちに自筆の肖像イラストをプレゼントしているうちに友人となり、そのままファーゴのコーチを受けレスラーになったという変わったエピソードの持ち主。1970年にデビュー。地元テネシーを中心に活動したほか、AWAなどにも積極的に参戦、日本にも度々来日したことがある。
1982年、当時全米屈指の人気コメディアン・素人プロレスラーだった「世界無性別級王者」こと故アンディ・カウフマンと抗争を繰り広げ、人気トークショーへの出演や試合(ローラーの秒殺)も行った。カウフマンの生涯を描いたジム・キャリー主演の映画『マン・オン・ザ・ムーン』には、実況のジム・ロスと共に本人役で出演している。
1988年5月9日にはカリフォルニア州サンフランシスコでカート・ヘニングを破りAWA世界ヘビー級王座を獲得、同年藤波辰爾とAWA王座を賭けて試合をしている(試合は王者ローラーの勝利)、さらに当時WCCW王者であったケリー・フォン・エリックを破り王座を統一、1989年まで1年間AWA王座を保持した。
テネシー地区のプロモーター兼エースとして絶対的な人気を誇り、若手時代の渕正信、大仁田厚を迎え入れて活躍させた(渕はローラーの必殺技フィスト・ドロップを使っていたことがある)。テネシー以外にも団体の活動範囲を広げ、一時期は反WWFの急先鋒だった。
WWFには1993年にから所属。当初はレスラー活動が中心であったが、後にジム・ロス(JR)と共にロウの番組解説に就く。まじめなキャラクターのJRに対して、ディーヴァ好きの砕けたキャラクターであるローラーの解説コンビがロウの目玉の一つとなる。解説席に座るようになった頃にはJRとは不仲という設定だったが、アングル上JRを助ける為の試合を行ったことで良好な関係として描かれるようになった。ロウの解説は、ストーリーラインに応じて、またWWE上層部との対立で度々離脱するが、2006年現在もロウの解説としてJRと共に活動している。また、2005年2月4日・さいたまスーパーアリーナ大会では、アナウンサーチームとしてJRと共に来日を果たす。
趣味の絵画も優れた技術を持っている。現在でも頻繁に各地のインディー団体に出場して、かつてのライバルたちとの流血戦を繰り広げている。
[編集] 得意技
[編集] タイトル履歴
- AWA
- AWA世界ヘビー級王座 : 1回
- AWA世界タッグ王座 : 2回(&ビル・ダンディー)
- AWA南部ヘビー級王座 : 4回
- USWA、NWAその他
- USWA世界ヘビー級王座 : 27回
- CWAインターナショナル王座 : 6回
- WCCW世界ヘビー級王座 : 2回
- SMWヘビー級王座 : 1回
- GWFヘビー級王座 : 1回
- NWA南部ヘビー級王座 : 45回
- NWA南部タッグ王座 : 19回
- NWA南部ジュニアヘビー級王座 : 1回
- NWA・USタッグ王座 : 1回(&ジャッキー・ファーゴ)
- USジュニアタッグ王座 : 1回
- ポリネシアン・パシフィック王座 : 1回
- トライ・ステイツ・ヘビー級王座 : 1回
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国のプロレスラー | WWE | 1949年生