サルノキング事件
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サルノキング事件(さるのきんぐじけん)は、1982年3月28日、中央競馬の中山競馬場で開催された重賞競走・第31回スプリングステークスにおいて起こった八百長疑惑にまつわる騒動である。
[編集] 事件の概要
同レースの1番人気はサルノキング、2番人気はハギノカムイオーあった。両馬ともに逃げ馬であったため激しい競り合いが予想されたが、レースではサルノキングが出走馬11頭中の最後方、しかも10番手の馬からさえ大きく後方に離れた位置からレースを進めたため、ハギノカムイオーにとっては理想的なマイペースとなり、楽に先頭に立ってレースを進めて優勝した。一方、サルノキングは向こう正面からロングスパートを仕掛けたが、直線でも先頭には追いつくことなく4着に敗退した。
サルノキングのレース運びはそれまでの同馬の脚質とは大きく異なるものであり、さらにスプリングステークスが行われた時点において、獲得賞金の面においてサルノキングはクラシックに出走するための要件を十分に備えていたが、ハギノカムイオーは不十分であった。しかも当時日隅広吉とともにハギノカムイオーを共有していた中村和夫はサルノキングを共有する馬主でもあった。そのためサルノキングはハギノカムイオーを勝たせ、カムイオーに皐月賞の出走権利を確保させるために、故意に後方からレースを進めたのではないか、という疑念がマスコミやファンから巻き起こることとなった。
サルノキングに騎乗していた田原成貴は八百長ではないと弁明したがファンからの疑念は晴れることがなく、田原はその後長年にわたって関東圏の競馬場においてサルノキング事件に関する野次を浴びることとなった。
なお、サルノキングはこのレース中に重度の骨折を発症しており、このレースを最後に引退した。
[編集] 事件の別名
この事件については、競馬関係の記事や読物など、また執筆担当者によっても様々な呼び方をされている。「サルノキングの逆噴射」「田原の逆噴射」というのも同じくこの一件を指すものである。
「逆噴射」とは、言うまでもなく元々はジェット機の操縦方法に関する用語であるが、折しも1982年2月に日航羽田沖事故が起きており、その事故の原因から、不可解な行動をさす用語として、この件の発生の時期に日本社会の各方面で流行語となっていたものである。