日本航空350便墜落事故
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日本航空350便墜落事故(にほんこうくう350びんついらくじこ)は、1982年2月9日、当時の日本航空、福岡空港発東京(羽田空港)行350便、DC-8機(機体番号JA8061)が羽田空港沖に墜落した事故である。乗客、乗員174名中乗客24名が死亡した。一般的に羽田沖墜落事故と呼ばれる。
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[編集] 事故概要
事故の原因は精神的な問題(現在でいう統合失調症を発症していたという説もある)を抱えた機長が着陸直前に副操縦士や航空機関士の制止にもかかわらず飛行中に逆噴射機構を突然作動させた事によるもので、その証拠としてボイスレコーダーに「キャプテン!やめてください!」という副操縦士の絶叫が録音されていた。その結果として失速して急降下した同機は、海上にある誘導灯に車輪を引っ掛けながら滑走路直前の浅い海面に機首から墜落した。
高度成長期の日本航空を支え、そのスマートで流麗な姿から「空の貴婦人」と謳われた名機DC-8ではあるが、1950年代後半に開発されたジェット旅客機の黎明期の機体である。このため、機構的には1972年に発生したモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港の墜落事故の際に原因とされた、飛行中のスポイラー作動など、後継となった機種では不可能とされている危険で絶対にあり得ない操縦方法も可能であった。本件においても、飛行中でも減速目的のために逆噴射機構が作動するように設計されていたことが、不幸な結果を招く事になった。
[編集] 逆噴射
逆噴射とはスラストリバーサー機構を使用して、エンジン噴射を前方に排出する航空機の制御方法の1つである。航空機の着陸後の減速時などに、車輪ブレーキの補助的なものとして制動距離を縮めるために用いられる。
なお本件事故の報道などの影響から、「逆噴射」という言葉は急な精神錯乱や不可解な行動をさす用語として、この年には各方面で流行語ともなった(※)。
- ※流行語としての「逆噴射」
- 現在でも知られる代表的な例としては、競馬の競走馬サルノキング号のケース(サルノキング事件)がある。この年の中央競馬の牡馬クラシック路線の有力馬と見られていた同馬は、3月のスプリングステークスで1番人気となったが、騎手の判断によるとされる不可解なレース内容で見せ場無く敗戦。この際に「逆噴射」という表現が多用された。
- また、1984年のATG映画「逆噴射家族」のタイトルもこの流行語に由来するものである。
[編集] 備考
事故前日に発生したホテルニュージャパンの大火災のニュースの興奮も覚めやらぬまま早朝にこの事故が発生したため、救出のため出動した東京消防庁はもとより、朝のワイドショーでニュージャパン火災の特別報道態勢を敷いていた各テレビ局でさえ大混乱に陥り、これは終日続いた。
後日談となるが、徳光和夫日本テレビアナウンサー(当時)が副操縦士と知り合いだったので、徳光が後に彼の体験を聞いている。それによると副操縦士は徳光に対し「墜落直前に航空機関士と共に機長を羽交い締めにするようにして、機長の操縦桿を思いっきり引いた、機体が水平になったと同時に墜落した」と証言した。もし副操縦士と航空機関士の行動がなかったら、さらに犠牲者が増えていた可能性が高い。(なお、徳光は、この内容を2000年に日テレ系で放送した“スーパースペシャル2000”内でも言っていた。) 救出されて入院した副操縦士は、事故直後、事情聴取に訪れた日航幹部に対し「とんでもないことをしてしまった」と話して泣き崩れている。
事故機には当初、俳優で料理研究家の金子信雄が1列目に搭乗予定だったが、たまたま急遽キャンセルして前日の最終便で帰京したため命拾いをしている。
この機体は1967年にイースタン航空にN8775として納入され、1973年に日本航空が購入したものである。
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