グレッチ
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グレッチ (Gretsch) はアメリカ合衆国の楽器メーカー。主にドラムとエレクトリックギターの製造で知られる。
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[編集] 歴史
[編集] 黎明期
1883年、ドイツからの移民であるフリードリヒ・グレッチ(Friedrich Gretsch, ドイツ語ふうには「グレッチュ」)によってブルックリンで創業され、当初はバンジョー、タンブリン、ドラムなどを扱っていた。1895年にフリードリヒが39歳で死去し、子のフレッドが会社を継ぐ。フレッドは1916年にウィリアムスバーグのビルに会社を移し、これを機にグレッチはアメリカを代表する楽器メーカーへと成長することとなる。
[編集] 最盛期
1942年にはフレッドが引退。会社はフレッドの子、ウィリアムとフレッド・ジュニアに受け継がれる。この二人の経営者のもと、1950年代なかごろにグレッチはその全盛期を迎える。「6120」および「ホワイト・ファルコン」 (White Falcon 世界一美しいギターとも呼ばれている。シングルカッタウェイ、ダブルカッタウェイの2種類がある。) に代表されるエレクトリックギターがヒットとなり、さらにチェット・アトキンスがグレッチの「カントリー・ジェントルマン」 (Country Gentleman) を使用したことによってその名声は不動のものとなった。チェットにならって多くのカントリ-~ロカビリー・プレイヤーがグレッチのギターを手にし、グレッチはギター業界においてギブソン、フェンダー、リッケンバッカー等と並ぶ地位を獲得した。 1960年代にはビートルズのジョージ・ハリスンもカントリー・ジェントルマンを携えてエド・サリヴァン・ショウのステージに立ち、またモンキーズにギターとドラムを提供したことから、グレッチの名はテレビを通じて全米に知られるようになった。
[編集] 衰退と復活
1960年代後半以降、ギブソンのレスポールとフェンダーのストラトキャスターがエリクトリックギター市場で人気を二分するようになり、グレッチは次第に経営不振に陥っていく。1967年に会社はボールドウィン・ピアノに売却され、また1973年にはアーカンソーの工場が火災に遭う。こうした不幸が続く中、1981年にボールドウィンはついにグレッチのギター製造を中止してしまう。
しかし1980年代に入り、ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーがグレッチのギターを使用して有名となったため、これをきっかけにグレッチ再評価の機運が高まる。1985年には会社はふたたびグレッチ一族の手に戻り、1989年からは新たにリイシュー・モデルを中心としたラインナップで製造を再開したが、海外で作られていると思う人が多いが、生産はこの時から現在に至るまで主に日本である。(愛知県の蟹江町にある寺田楽器)2003年にはギター部門がフェンダーの傘下に入った。
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